鼻っぱしの強い「加賀まりこ」が、憑き物から解かれたような柔和な表情でのんびりと歩いていたあの頃の軽井沢が懐かしい。軽井沢に住む芸能人はここ数年不運に見舞われ続けている。
団塊の世代のトップランナーだった「かとうかずひこ」は、2009年10月、当地のホテルで自死した。安井かずみと再婚、のち中丸三千絵と再再婚、あまりにも個性の強い女に惚れて、結局自分を追いつめてしまったのだろう。女はほどほどがいいのかもしれない。
ゴールデン・グローブ賞まで貰った「島田陽子」は、男性判別能力がなく内田裕也というとんでもない男に入れあげた結果、借金まみれのAV女優に転落した。
最近では家庭内DVで有名な気分や「玉置浩二」、薬師丸ひろ子、石原真理子などと結婚を重ね、ついに五回目に青田典子を仕留めた。が仕事のドタキャン癖は直らず薄氷の新婚生活がつづいている。
私の身体はワインでできているの、バブルが解けない「川島なお美」もかつてベット・シーンで、子宮が呼吸できないわと発言し、前張りをとった程の迫力もなく、空気よめないただの昔女優になった。自然派の夫鎧塚俊彦はさぞや辟易としていることだろう。
南軽井沢に沢潟山荘を構えるスーパー歌舞伎の「市川猿之助」も身体をこわし、あの広い合宿用稽古場はどうなっていることやら。かって藤間紫さんが存命のころ、ご当地スーパーつるやで髪ふりみだして弟子や部屋子の買い出しをしていた姿が眼に浮かぶ。
みんな纏めて供養したほうが、いいのではなかろうか。
唯一幸せなのは、音羽屋一家、「尾上菊五郎」さんは7,8月は軽井沢を楽しみ、ゴルフとアルコールの日々、「富司純子」「尾上菊之助」さんはそれぞれにテレビと舞台、「寺島しのぶ」さんは、わたしのからだにとじこめられたほんとのわたしは泣いている、と美女劇に挑戦中。
さわやかな風の吹く「軽井沢の芸能人」なう でした。
軽井沢の芸能人・なう
コメント
1件のフィードバック
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紫さんは猿之助の為だけに生きたようなかたです
澤瀉やの人達の為に頑張られましたよ。
日本舞踊の弟子とは差が大き過ぎるほど澤瀉屋さんのお弟子達はお世話になったはずです
プロフィール

星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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