行列はユニクロだった。

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 ファスト・ファツシヨンの波がいつまでつづくのか。
 シャンゼリゼーを歩いても、表通りはほとんどがファスト・ファツション、かろうじてルイビイトンだけが、LVのマークとともに派手なウインドー・ディスプレイを誇示している。とにかく花のパリでもスカートが少ない。90パーセントはパンツ・ファッションで、速足に歩いている。優雅にセクシーに歩くパリジェンヌは死滅してしまったのか。グローバル化の嵐はフランスのらしさまで食い荒らしている。
 オペラの横に行列ができていた。最後尾はここのプラカードまで100人位か。よくみるとユニクロなのだ。ZARAはランセルの隣にもあるし、プランタンのむかいにもあってかなりの繁栄状態、H&Mも、ギャップも、フォーエバーも、トップもトミー・ヒルフィガーもあってパリのファスト・ファッションは飽和状態、そこに日本のユニクロが出て行ってもとおもっていたが、大きな見込み違い。
 なかに入って驚いた二階にある二つの試着室がこれまたそれぞれ数十人の行列をつくつている。L.M.Sときまりきったユニクロの製品を、それぞれ真剣な表情で試着し、納得したところでさらにグランドフロアに降りてこれまた数十メートルの行列にならぶ。ユニクロはパリジャンとパリジェンヌのふところに深くはいりこんでいた。流行とは無縁のベーシック衣料というところが見事うけたのだろうか。
 翌日スタッフの秘書にきいたところ、「あら、あたしも来ているわ。どうお」といってニットの下をみせられた。「でも私のうちはみなムジよ」えっ、ムジと聞き返して無印良品のムジと理解した。フランスの若い娘たちにムジやユニクロが以外なかたちで受け入れられていることに納得させられた。
 世界中のいまの不況が続く限り、ファスト・ファッションは滅びないだろう。


コメント

1件のフィードバック

  1. とても魅力的な記事でした。
    また遊びに来ます!!

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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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