同じ痛み知って同じ優しさ持ちよった/100%勇気もうがんばるしかないさ/指をからめ握りしめて歩き出そう/歩みだす勇気抱いて/絶望のなかに光さがして/とおくにいてもこころはひとつだよ/つないだ手と手に生きる力を/もう戻れないけど/つらいときにも生きる力をくれるひと/絆は決してほどけない/がんばろな東北/人生はなぜこうもつらいのか/明日からなにかが始まるよふくしま/悔いはしません泣きません/絆の糸は切れてしまえば結べない/生きようなにもいらない/一生懸命いきることなんて素晴らしい/もう二度と笑顔にはなれそうもないけど/あのぬくもりを心に灯すよ/眠って忘れたいの昨日のこと/どこにいたって一人じゃない/やさしさひろげてまっている/あの故郷へ帰ろかな/もうあなたのそばをはなれない/暦も昔に舞い戻る/涙流さないどんなにつらくても/ひとりぼっちにさせてごめんね/町はいま砂漠のなか/傷ついても何度も信じたいよ/上を向いて歩こう涙がこぼれないように/いつまでまっても来ぬ人と/どんなことでも越えてゆける/ひとり歩いています/明けない夜はないと信じて/人は哀しい哀しいものですね/帰ろかな帰るのよそうかな/胸をゆする泣けとばかりにああ/悲しみいつのまにか幸せになる…
第62回NHK紅白歌合戦「あしたを歌おう」歌詞の抜粋である。ここにある単純でベタな発想こそ世界大戦に突き進んだ一元的な日本人の大和魂、一億そろって愛国行進曲を歌ったあの時代、平準化した危険な臭いを感じざるをえない。唄を通して東北を元気ずけるという動機は正しいのだが、どこか胡散臭い。猪苗代湖ズだけの叫びのほうが訴える力がはるかにある。全員にそれらしい唄を歌わせ、幼稚園のお遊戯のような司会の嵐にまで特製の絆ソングをうたわせたのは、まさに戦時中の大政翼賛会、人と人との絆が唄の奥行きをどんどん失わせていく。官製NHK。
紅白歌合戦にオモウ。
コメント
1件のフィードバック
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2012年も色々な話題を振りまくこと必須!ネットでは様々な噂が飛び交っていますがその真相を確かめるのか否かはあなた次第です。
プロフィール

星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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