東京駅から品川を過ぎると、次は横浜…東海道線のホームには真赤なチャイナ服をきたシュウマイ娘が並んでいた。旅人たちは汽車から飛び出してシュウマイ娘に殺到した。奪い合うようにシュウマイ弁当を手にすると急いで車中に戻る。ゆっくりと発車する東海道線の車窓からオジギをするシュウマイ娘を横目に、シュウマイ弁当を開いた。
主役は勿論シュウマイ、やや小ぶりのシュウマイが六つだったか五つだつたか記憶は曖昧だが、それにたわらに握ったご飯がついている。まずカラシを等分にシュウマイにつける。そして小さい陶器の醤油入れ、横山隆一のデザインになる瓢箪型の容器「ひょうちゃん」の小さなコルクの栓を抜き、溢さないように注意深く醤油をかける。
ようやくシュウマイ最初の一個にたどりつくのだが、少し濃いめの味のシュウマイがとても嬉しかった。忘れられない味というか、けっしてA級の味ではないのだが、妙に記憶に残る美味しさだった。それにつめたくなったたわらのご飯もマッチしていた。
短めの箸も旅の途中の証しのようで嬉しかった。駅弁の箸は短くなければならない。あの頃のシュウマイ弁当は今ほどに副菜はついていない。だけど酒悦の福神漬けに、横浜カマボコ、と思い切りシンプルな良さがあった。いずれも信用できる副菜だったし、しっかりとシュウマイをサポートして、ごてごてと品数を誇る近頃の駅弁より数等優れていたように思う。
醤油入れのひょうちゃんの人気もまた絶大で、そっとコルクの栓をして懐紙に包み、鞄の底にしまって持ち帰ったものだ。横川の釜めしと並んで、旅人の二大コレクション・アイテムだった。
駅構内の弁当やさんだった崎陽軒は、やがて東口に立派なビルを構え、いまではいくつものレストランを経営しているが、駅弁のマイブームは、いまだに崎陽軒のシュウマイ弁当だ。
新幹線に乗っていても、横浜を通るとふとシュウマイ娘が浮かぶ。
シュウマイとシュウマイ娘
コメント
1件のフィードバック
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シューマイ娘はTVでしか会えませんでしたが、
「ヒョーチャン」のコレクターには、何人も会いました!思い思いのディスプレーが羨ましかった思い出があります。いったい何種類あったのでしょうか?
一方、釜飯のかまは、いっぱいありすぎて再利用のネタが尽きるほど溜まって、駐車場のバラスかな?と思っていたら、軽井沢浄化管理センターに、かまめし用のリサイクルコーナーが設置されたのを知って、せっせとリサイクルに通っています。
プロフィール

星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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