例年のごとくサラリーマン川柳の中間発表があった。
多いに笑ったのは🔟番の作品。 「 YOASOBIが 大好きと言い 父あせる 」 テンピ
デスクは「どこが面白いんですか?」怪訝な顔をしている。
これほど世代間の断絶を笑いにした秀作はない、筆者はすこしばかりの優越感で多いに笑った。
近頃の日本語の乱れようは凄まじい。「YOASOBI」と書いてあれば、ほとんどの日本人は 「夜遊び」と認識する。従って娘の大好きな夜遊びは、淫行であって焦らない父親はいない。嫁にいくのは当分先と思っていた娘が、いきなり夜遊び大好き と口走ったら父のみならず母親もあせるだろう。
お前の躾が悪いからこんなことになるんだ。自分の夜遊びを棚にあげて何言ってるんですか! 夫婦喧嘩が勃発して思わぬ離婚騒動を巻き起こすかもしれない。
YOASOBIは、ボーカロイド・プロデューサーのAYASEと、シンガーソング・ライターのIKURAの音楽ユニットだが、一枚のCDも出すことなく、暮れの紅白に登場、年間第一位のチャートに駆け上がった。テレビやネットを見なければ知らなくて当然のグループである。かりに小説を楽曲化した音楽と紹介されても、そんなに優れた音楽性があるわけもなく、単純にストーリーを幼い言葉で追っかけた今風な歌だから、右から左に抜けていく音にすぎない。
名前だけがヨコモジで本人たちはインターナショナル気分にひたっているのだろう。
日本固有の短詩系文化が音をたてて崩れていく見本のようなYOASOBIなのだ。
YOASOBI が大好きな娘
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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