大橋巨泉さんが去る12日に亡くなった。テレビや新聞紙上で、現代を象徴する偉大な巨人を失ったと報じられている。確かに偉大なタレントであったには違いない。筆者も随分巨泉には世話になった。ただし日常ではなく、仕事上でのこと、舞台での司会にまま彼に出演してもらった。音楽評論家であったことから、全体のテンポやリズムをつかむ才能には長けていた。
ただテレビに於ける彼の仕事には、疑問をもっていた。
今日の堕落したテレビの遠因に於いて、かなりの部分巨泉と当時の日本テレビに責任がある。
巨泉は11PM 司会となるや当時の日本テレビの制作体制の虚をついて、それまで表現メディアとしてあったテレビの知性、テレビの文化性をつぎつぎと破壊していった。このことは、彼が取り上げたテレビの素材を見ればよく判る。
それまで決して表には出てこなかった「いかがわしい占い」の数々、その占いの暗示する競馬、競輪によるギャンブル、釣り情報、麻雀とそのテクニック、ゴルフ、セツクス、アンダーグラウンドにある様々を臆面もなく11PMに登場させた。
面白かったかもしれないが、それによつて日本のテレビは、坂道を転がるように堕落していった。
映画であれ、ドラマであれ、音楽であれ、色物であれ、報道であれ、それまで持っていた表現メディアとしてのモラルが音をたててくずれていつた。
彼が司会をしていた「世界まるごとHOWマッチ」など、金銭本位の物質主義、バブルの先頭に立っていた。
巨泉のそうした利益主義は、日本人のいく世界中の観光地に「巨泉の店・OKショツプ」なる怪しげな土産物屋をいくつも作り、テレビで売り込んだ巨泉の名前で商売をしたさもしさに現れている。
OKショップには、ヌードの浮き出るボールペンから毛皮のコートまで売っていた。言葉の不自由な日本のおばさん達は絶好のカモになっていた。そうした巨泉の店では、かって11PMで働いていたスタッフが、引き抜かれて働いていた。
大橋巨泉はマフィアの如き、テレビ商人だったのだ。
今日のテレビの惨状を見るにつけ、巨泉の名前を思い出さずにはいられない。
TVを堕落させた大橋巨泉
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プロフィール

星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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