ヴェネチィアの運河沿いにあるとあるホテルのテラスで、運河に写る月のゆらめきを意味もなく見つめていた時、電話のベルが鳴った。このクラシックなホテルに滞在するとは誰にも言ってこなかったので、外線の筈はない。フロントからなにかの連絡と合点し受話器を手にした。
フランスからお電話です。えっなにごとと繋いでもらったところ、私トミー。覚えてる?覚えてるはずはない、なにしろ40年ぶりなのだから。いま私ニースに住んでるの。が何故ここが分かったの。彼がそういう人が泊まるならそこしかないって。はあ。ここにベガスのトコちゃんがいるの。彼女のお手紙のぞいたら、幼い頃の思い出のホシノちゃんがいたの。嚇かしてやろうということで探したのよ。
よく聴くと、彼女の相手はサザビーの創立者にして大英博物館の寄付者であるウイルソン家の孫、彼と恋してニースを見下ろす山のシャトーに住んでいる、そこにベガスのトコちゃんが遊びにきていた。トコちゃんは昔踊っていて、アメリカのショー・プロデューサーに惚れられてベガス住まい、ふたりを結びつけたのはシーザース・パレスのオーナー、世界は狭かった。小牧バレエ団の少女が、タイムマシーンに乗って突然ヴェニスに現れたのだ。
以来付き合いが始まり、霧の北イタリアをドライブしたり、ヴェローナの小人の館を訪ねたり、また花の都をどりを楽しんで、舞妓芸妓を囲んだりという時を共にした。
今回のパリ行きでも、彼はモスクワから、彼女はリヨンから駆けつけてくれ、最後の二日を共にした。
初めの一日は、ギメ宗教博物館へ。ヒンズーからチベット仏教、そして中国から日本へ、高峰道にもある千手観音の造詣に感激し、二日目はパリ革命以来の貴重な資料の宝庫、カルナバル博物館でギロチンにかかったマリー・アントワネットや、キャバレー黒猫の看板に実存主義時代の作家たちを思った。海の向こうの女友達が、たのもしく写った貴重な二日間だった。
tom & tommie
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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