SMAP解散に躍った人々

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SMAP解散に躍った人々
 SMAP解散に始まった報道は、木村拓哉と4人組の対立に発展し、結局ジャニーさんへのお詫びから、番組でのファンの皆さまへの感謝とお詫びで一件落着となった。この間総理大臣の所見発表やら地方創生大臣の見解、平和ぼけのこの国らしく、SMAPは僕たち私たちの青春だったとテレビカメラに訴えたりと、情報化時代の芸能商品として、メディアに充ち溢れた。
 ここではいつまでも大人になれない子供達と、子供のままの大人達が入り乱れてSMAP礼賛に走った。SMAP解散中止と聞いて、なによりも喜んだのはB層と呼ばれるこの人達だった。
 この騒動によってこの国の芸能界は当分安泰だと、芸能事務所の経営者たちは胸をなで下ろしたことだろう。
 一連の報道は問題の本質を全く伝えていない。
 いずれ週刊文春あたりはSMAP解散の真実について紙面を費やすだろうと想像されるが、テレビとスポーツ紙に踊った記事またはコメンテーターの発言は、驚くべきジャニーズ事務所とSMAPのヨイショに充ちていた。
 この事件は芸能事務所の体質と、所属マネージャーの品性、ロイヤリティのなさ、さらに自分の見えない愚かなタレント達による騒ぎに帰結される。
 ジャニーズ事務所のような大きな事務所になると、当然のごとく担当タレントのマネージメント、日常管理はマネージャーに任せられる。とくに女性マネージャーにおいては、組織からの委嘱業務であるという点を忘れ、個人的な感情でマネージメントに走る場合が多い。タレントも日々接触する女性の懸命さにほだされ、感情移入してしまい、組織の力でしている仕事の立場を忘れる。
 今回の女性マネージャーの退社に伴う独立騒動もある意味単純な構造なのだ。
 永年勤続のマネージャーに対する退職待遇、専従タレントの拘束問題、さらに事務所の血族経営といった芸能界全体にはびこる前近代的な課題を解決しない限り、これからも繰り返される問題なのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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