SC軽井沢クラブが、創立10年を迎えた。長岡秀秋・はと美夫妻のご苦労はさぞやだったと思われるが、安月給で頑張ってきたスタッフや、陰になり陽向になってバックアップしてきた町内の実力者あってのことだったと思われる。
当初は挨拶ひとつ満足にできなかったカーリングの選手たちも、日本代表の座が手にはいるようになって、ようやく人間としての成長が見られるようになった。強いチームほど礼儀正しいというスポーツ界の常識がここにも見られる。
この程、記念式典があった。第二部の対談&トークセッションに興味があった。テーマはSPORTS ENERGY。
まず噂の為末 大さんがよかった。スポーツについての理解と見識が半端なくしっかりしていた。勉強のあとが見え、こうしたアスリートが多く出てくることによって、スポーツもレベルアップする。それにひきくらべコーディネーターをした宮嶋泰子は、予定調和とゴマスリのアナウンサー独特のいやな司会だった。
テレビ朝日の後輩でもあるので期待したが、文化に於けるスポーツのポジションも生半可な理解で、がっかりした。
トークの途中で驚いたのは、隣の席にベビーカーを引いた女性がきたこと。子供は一年何か月の泣くのが仕事の幼子、大人たちがスーツを着て集まっているフォーマルな記念式典に赤ん坊ずれでやってくる神経に驚いた。聞けば今年華々しくオープンした軽井沢インターナショナルスクールの設立者だという。
少子化時代を迎え、近頃こうしたカン違い人間がまま登場する。クラシックのコンサートに乳飲み子を連れてくる。ぐずった赤子に胸をだしてオッパイを含ませたのには腰を抜かした。さらに職場に赤ん坊を抱いてこい、というなんとかリゾート等々。こうした連中はきまつてアメリカでは、という発言をするが、彼らはクラスのあるパーティの経験はなく、カジュアルなキャンパス・パーティと一緒くたのオバカなのだ。
曽野綾子が受付をしていたら、入口で追い返しただろうが、SCのスタッフの優しさが彼女を案内してきた。
こんな女性のもとで教育される生徒の明日に希望はもてない。インターナショナル・スクールが不登校の子供や、芸能人、金持ちのワガママ子弟の受け皿になって、人材は生まれないと、言われる所以だろう。
SC軽井沢クラブ設立10周年のオメデトウ
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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