PV+応援村・オリンピックの特等席が全国に

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 オリンピックの切符が当たるから、電化製品を買え、保険に入れ、ガソリン入れろ、あの手この手でオリンピック商売が繰り広げられている。
 高いホテル代を払い、交通制限だらけの町中を歩き、たどり着いた会場でコメツブほどの選手と競技をみて満足するのなら、それはそれでいいかもしれない。
 オリンピックを見てきたと、自分に無理矢理納得させて、同時代に生を受けた満足感に浸るのもそれなりの人生かもしれない。
 が冷静に考えれば、自宅でゆっくりテレビを楽しむのが、極上の東京2020であることは論をまたない。テレビがいささか古くてとか、もう少し大きい画面で見たいといなら、やはり重い腰をあげねばならない。 向かう先はパブリック・ビューイング。
NHKでは「8Kスーバーハイビジョン・パブリックビューイング」を全国64か所に立ち上げる。東京都と組織委員会は「東京2020ライブサイト」を30か所つくる。
 PVの周辺には「応援村」が出来る。
 PV+応援村で、オリンピックをみながら飲み食いできるというのがコンセプトで、全国2000ヶ所にできる。
 応援村の実行委員には渋谷区始め千葉市、別府市、三重県、など全国自治体首長が顔を揃え、全会場2000万人の動員を見込んでいる。オリンピックを見ながらご当地名物を楽しむという、特等席が全国にできる。すべて無料。コスパ最高。
 ニッポン何処でもオリンピックであって、高いチケットもいらないし、交通費もいらない。業者はチャンスとばかり、高性能のPVでサービスし、オリンピックグッズを持ち込む。飲食も地元零細業者とナショナル・ブランドが入り乱れて商戦を繰り広げる。
 好きな時に好きなゲームを見て、好きなアルコールと食欲をみたして、オリンピックとつきあうのは、智慧のあるオリンピツクの楽しみ方かもしれない。
 何万円のチケットに眼の色をかえるのはオリンピック中毒の人である。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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