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「アゴが疲れない。」というのが、Qワードになっている。それほど日本の若者たちのアゴ力は退化しているのだろう。近頃はエラのはった精悍な男をまったくといっていいほど見なくなった。テレビやグラビアに登場す…
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映画「サガン・悲しみよこんにちは」を見た。脚本監督のディアーヌ・キュリスはリヨン生まれイタリア系の60才を超えるおばさん監督だが、サガンが騒がれたあの頃のパリを知らない。とくに上流社会、社交界をしら…
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1985年生まれ。埼玉出身。B型。身長150センチ。「益若つばさ」といっても「その人誰」という人が多いかもしれない。いま巷に増殖しつつある「つばさ売れ」の御本尊である。 彼女は睫毛を黒く盛り、ブロン…
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修学旅行京都のお土産といえば八ッ橋にとどめをさす。筝曲の祖八橋検校を偲んで門前の茶店がお琴のかたちの小菓子をつくり参拝客に供したのが始まりと知った。聖護院八ッ橋総本店がその源流店。 このほど検校の3…
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マイカーがなかった子供の頃、日曜日の公園には一周百メートルか、二百メートルをミニカーに乗って走るアトラクションがあった。車同士ぶつけ会いながら子供たちは歓声をあげて走った。電気で走る単純な車だった。…
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リーマン・ブラザースが破綻し、NYウォール街が恐慌に陥った時、与謝野大臣はこう発言した。「日本にとっては、蜂にさされたようなものだ。心配はありません。」 アメリカ最大の保険会社AIGが破綻した時は、…
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子供の頃、お腹が痛くなると決まって熊本の「諸毒消丸」か、吉野の「陀羅尼助丸」を飲まされた。食べ過ぎたときは伊勢の「満金丹」、母はいつも小田原の「ういろう」をふところにして旅にでていた。何百年もまえか…
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今年こそ水芭蕉を撮らなければならない。昨年、故中田喜直先生とのえにしで「中田喜直音のオマージュ」と題した7枚組のポストカードを撮影した。幸いにも好評で来年第2集を出版するという。欠かせないのは一番人気…
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白馬への道の途中、美麻村新行へ立ち寄った。 数年前SBCのプロデューサーに連れて行かれ、そのときの印象が強烈だつたからだ。標高950メートルの北アルプスの麓の小さな集落、里山に囲まれた村落風景に目立…
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石原裕次郎23回忌を国立競技場でやるという。200㌧の鉄骨を使い600㎡の本殿を作ってやるというが、宮大工の手で造るわけではなく撮影所の道具方につくらせるのだから伝統的な寺社の雰囲気とは程遠いイベン…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞