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パリヂャンをイラストすると、ベレー帽をかぶって小脇に長いバケツト、というのがまず標準的なイメージだろう。ベレー帽の伯父さんはだいぶすくなくなったが、夕方になると太った伯母さんが小脇にバケットを抱えて…
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明日から11月中旬までパリへいってきます。テーマは ムーランルージュ ルピックの坂道 サンマルタンのパンヤさん ルル コレット ポン・デザール パサージュ ユシェット 等な…
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有楽町マリオンの左半分…往年の日劇があったところであり、日劇ミュージック・ホールが存在した場所、ここでトニー谷というソロバン片手にタップを踊っていた芸人や、美空ひばりの東京キッドも聞いたし、高峰秀子…
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活発でシンプルなバカが国家、社会の中枢に座っている。素人が口を出すなどというレベルではなく、素人が大臣になっている。俺は素人だから、これが本当のシビリアン・コントロールと、言い放ったのは一川保夫防衛…
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祇園甲部VS浅草、京舞・お座敷舞踊の饗宴という催しが東京のホテルであった。つまり東西踊りくらべということだが、これは較べるまでもなく勝負はわかっていた。 京都五花街…祇園甲部・先斗町・宮川町・上七軒…
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友人の女子大教授が嘆いていた。 彼は世間的にも優秀な子女が入学すると思われている女子大学の先生なのだが、かって抱いていた女子大キャンパスの空気は絵空事になってしまったと、いうのだ。そんなことはない…
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今月パリへ立つのでお土産をと思い、銀座へ行った。 四丁目の和光の角を北に曲がり、山野楽器の前を通り過ぎ、やや行くと妙に騒がしく人だかりのしている一角がある。なんだろうと覗きこむと、そこには花のうえに…
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菊五郎劇団と国立劇場の共同作業による江戸歌舞伎復活上演にはまっている。 あの頃、鶴屋南北、福森久助、桜田治助、並木五瓶などきら星のごとくに狂言作者がいた。 皆変なやつばかりだった。神主あがり、炭やの…
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「赤いきつね」と「緑のたぬき」というまでもなく、マルちゃんの焼そばにはずっと世話になってきた。夏の始めのバーベキューの締めくくりは、いつもマルちゃんの焼そばだった。ガーリック・スライスをしっかりとバ…
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市川右近・笑也・笑三郎・猿弥・春猿等21世紀歌舞伎組の連中はがっくりと肩を落としているに違いない。国立の歌舞伎研修生から猿之助一門に身を投じたのは、当時歌舞伎に巣食う門閥制度に反旗をひるがえし、新し…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞