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三代束ねて襲名興行は珍しい。 苦労してスーパーカブキを作った三代目猿之助は猿翁を名乗り、才人亀治郎は四代目猿之助を襲名、「あなたは私の息子ではない」と縁切りされていた46歳の香川照之が中車を襲名、息…
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軽井沢に居を移してまもなく、駅前駐車場の割引制度があると聞き、役場へいった。 週に三日は東京に出なければならないので、と窓口に申請すると、後の四日は何をしてますか、との質問、原稿を書いたり企画書を書…
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カバーをみてなるほど、と思った。店頭でヒラ積みにした時、圧倒的に眼をひく。 モノクロのブリジット・バルドーの媚態を背景に、ピンクの大小濃淡のハートが幾つかとんでいる。いちばん大きなハートには「恋に溺…
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京都とともに食の都といえば金沢をおいて他にない。 つる幸、浅田屋、金茶寮など、…一流の料亭が軒を連ねている。京都の料亭やお茶屋さんの娘、息子さんたちも、学校をでたら、とりあえず金沢で修行してくるとい…
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世界的な不況のなか、金箔の街金沢を訪れ、ささやかな黄金のジパングを体感した。 百万石通りを走って、いちばんに眼に飛び込んだのは、商家の店頭に飾られた金泥たっぷりの「一期一会」の大掛け軸だった。 町の…
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いくたびか足を重ねた金沢へいってきた。 女川とよばれる浅野川の畔を歩き、泉鏡花の時間にあった。 かって寄席があり、芝居小屋をよこめに、柳葉の流れるような川面の友禅流しを日常として、迷路のような花街の…
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とある雑誌で「人生最後の一食」と題した特集があった。 浪花家の焼そばとたいやきを指名したのは、糸井重里さん、小山薫堂さんは、軽井沢東間の蕎麦湯、とそれぞれに個性的だが、さて自分だったらと想いをめぐら…
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「ふぐは食いたし、命は惜しし」 冬になると、ふぐが恋しくなる。 大皿に花が咲いたような薄造りのふぐ刺しを、無造作に箸ですくって食べる。花芯にもられた皮刺しに箸が移ると、ゼラチン質の食感がたまらない…
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ままワイドのテレビ・ニュースを見ることがある。 あきれるのはニュースの司会やアシスタントを務める女子アナの非常識な態度だ。本来、プロデューサーやディレクターが注意して直せばいいことだが、ここ20年ぐ…
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時代おくれ だからといって決してあなどれない商売がある、と雑誌の特集にあった。 まず一番が「カセット・テープ」、日本舞踊のお師匠さんは、いまでもラジカセで、長唄やら小唄をかけて教えている先生が結構多…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞