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真夏に大福を食べるのは暑苦しい。 でもカラダはほどほどの甘さも要求するので、メタボに眼をつぶって甘味に手をだす。軽井沢は涼しいリゾートが売りなので、夏の冷菓とよべるようなものはない。氷やが二、三軒あ…
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「ペット歓迎」をかかげたレストランやら、喫茶店、ペンション、はてはホテルまで、夏になると其処個々に増殖する。軽井沢の夏は、やたらペットが威張っている。 旧軽銀座を歩くと、別荘族やら観光客のペット連れ…
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ロンドン五輪は予想どおりの不振だ。 メタル・ラッシュと騒いでいるのは、テレビの情報番組だけ。金の予想はつぎつぎとくずれ、中国の十分の一ほどにもとどかない。 「 結果はついてこなかったけど、楽しくやれ…
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イギリスから「赤い靴」というミュージカル映画がきた。初めて出会ったミュージカルだった。ヒロインの想いとは関係なく赤いトーシューズが踊りだす。赤い靴が自由にファンタジーの世界に飛び込んでいく。その発想…
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2012上半期の芸能ふきだまりをぼやいてみよう。 オセロ中島・激太り洗脳騒動というのがあった。自称占い師から身柄を奪カンし、どこかに確保したとまでは報じられたが、ニュースはそこで途絶えてしまった。ひ…
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ついこの間まで、アラサー、アラサーとはしゃいでいたのが、あっと言う間に四十路、五十路となって、ますます中年女性層が、表通りを歩くようになった。テレビの情報番組でも、パネラーのひとりに必ずアラフォーを…
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「これで大丈夫やろか?」「僕らが一発の力を信じないでどうします」一発屋芸人同士の会話だ。 よしもと、サンミュージック、松竹芸能、渡辺プロ、と毎年何百人の芸人が製造され、消えていく。一発でも当たればい…
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フリルの超ミニにうしろで縛ったブラ、ヒップボーンのスリム・パンツには黒のミセブラ、網目のキャミソールにレースのミニパン…ブラもパンツも足も見せ放題、酷暑の原宿はほとんど女性たちの天国と化していた。男…
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京都八坂神社の祇園祭を始め、全国あちこちの祇園祭を取材したが、暑いぞ熊谷の祇園祭である「うちわ祭」は未体験で、いつか行きたいと思っていた。 かつて事務所のスタッフだった島田由美子さんから、お招きを受…
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「痛てててっ! 痛てってば! 痛てててっ…痛いててててっ! 痛ってばよ、先生! ああぁっ! 痛てっ! ホントに痛てってばよ、先生!」 姿はみえないが、カーテン越しの隣の患者はかなりの高齢者、羞恥心な…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞