-
山本文朗、加藤茶、ラサール石井、堺正章、市村正親、高橋ジョージ……輝ける中老年の星、いずれも若い女性を得て、充足の日々を送っている。と今のところ見られいるシアワセの男たちである。 若い女性たちが心優…
-
福山雅治が”壇蜜愛”を公言し、みうらじゅんが「あゝ、俺はもうダメだ」と思った壇蜜が、ついに尖閣諸島、オスプレイ、壇蜜、とヤフー検索ワードのトップ3に並んだ。 いま日本中に壇蜜…
-
僕が生まれ育ったのは、本郷西片町だ。 樋口一葉が胸を患い、わずか24才と6ヶ月の命を終えたのも西片町の片隅だった。彼女の短い作家生活のなかで、「奇跡の14ヶ月」と呼ばれている西片での暮らしに想いは飛…
-
小学校3年生のとき、クラスの兄貴分が子分を集めて…ジュゲムジュゲムごこうのすりきり…なんとかかんとかのチョウキュウメイのチョウスケサン! という長い名前を自慢げに披露し、どうだ覚えられるかッ と一括…
-
このところ舞台での事故、収録現場でのトラブルがめっきり増えたような気がする。「ワイルドだろ~」のスギちゃんは、プール高飛び込みで胸椎破裂骨折の重傷を負った。 歌舞伎の市川染五郎は、国立劇場のセリに転…
-
久しぶりに伊藤愛子の唄を聞いた。 「イヨはまだ16だから」の手本になった「私は13歳」という曲で伊藤愛子がデビューして50年がたった。半世紀歌い続けてきた記念のコンサートだった。彼女の真面目さとひた…
-
勝負は時の運と言いながら、勝負の好きな人々…は結構多い。 国技である相撲は、勝負の価値観を真ん中にすえた呪術芸能であるとも言える。 地方に残る赤ん坊の泣き相撲などは豊穣祈願の祭事だし、神輿をぶつけ合…
-
山中、山中、山中と新聞の大見出しに踊った。人工多機能幹細胞(iPS細胞)を開発した、山中伸弥京都大学教授に対するノーベル医学生理学賞を授与するという決定だ。同じ万能細胞「ES細胞」のときにあれほどか…
-
くるみオハギが食べたくなると別所平の前山寺へ足を運ぶ。 松茸が食べたくなると、別所平の松茸山へいく。其処此処に松茸小屋があり、リーゾナブルに松茸料理をいただける。食欲ばかりではなく、信濃デッサン館や…
-
大衆を欺き、騙すのが目的のステルス・マーケティングが爆発的に広がっている。 昔からあった行列の「並び屋」や、イベントの「サクラ」、健康器具の「ヤラセ」などは、フィールドの狭さからあまり問題にもならず…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞