-
1959年、フランス映画「24時間の情事」が封切られた。 パリ左岸派と言われていたアラン・レネの監督作品だった。この長編映画はゴダールが嫉妬したと伝えられ、遠いアジアの映画青年たちは羨望のまなこでス…
-
婚活に始まって終活に終る。 そこに割り込んできたのが、涙活。 涙は思わず流すものでなく、「涙を流す」を目的にしたイベントで流すのが、近頃の都会人のようだ。 喜怒哀楽…折に触れ溢れ出る感情の発露として…
-
大人が踊ることはそんなに悪いことではない、と思っている。 沖縄では宴会の盛り上がりに全員で踊る。 間もなくやってくる夏の盆おどりも、老若男女皆でおどる。 喜びの表現だったり、先祖の供養だったり、と生…
-
長野県民は誇り高く、信州教育の名のもとに、自分たちは優れた人間であるという自負にあふれている。 が、これを政治家に見た場合、信州出身の政治家は共通の脇の甘さをもっている。 その一は「羽田孜元内閣総理…
-
伊勢神宮おはらい町の先頭に立って、門前町のルネッサンスに尽くしていた赤福の若社長が首になってしまった。 かって赤福はお伊勢参りのお土産であり、あのノッペリとした餡ともに赤福とはこういうものだと、納得…
-
第一位裁判官、第二位大学教授、第三位新聞記者……第七位国会議員、大学生が成りたい職業の順位だ。 子供のころ学校でよく将来なりたい人の質問を受けた。なりたいの一番はやはり総理大臣だったり、大学の先生だ…
-
有楽町駅前、毎日プラネタリウムの廊下に戦場はあった。 間もなく始まる民間商業放送のプログラム作り、テープ編集のクライマックスだった。アメリカ製のアンペックスは高価で使えなかったため、御殿山に生まれた…
-
人気日本一、受験者数日本一、これらは総て「まぐろ」のお蔭だ。 近畿大学は水産研究所の近大まぐろ養殖成功によって、一気に人気大学の一翼を担うようになった。 その成果は、箱根マラソンよりはるかに効率よく…
-
桜風一過、春の桜の到来がようやく収まった。祇園町にいると、桜は見に行くものではなく、桜はやってくる。花見の適所はそこらじゅうにあって、選択に迷う。 鴨川べりには、枝垂れも八重も染井吉野も一通り揃って…
-
夏目三久という司会者はひどく不思議な女である。 女性に嫌われる典型的なアナウンサーだ。 しゃべる力、きく力が全くない、勿論伝える力もない。にもかかわらずあちこちの民放にでているのは、オジサン受けのす…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞