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北海道大学の「美術の北大展」にお邪魔してきた。 大学院芸術学講座の院生の皆さんによる労作でもある。死蔵された美術という言葉もあるが、キャンパス内のあちこちに眠っている作品を揺り起こし、その作品の背景…
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大学受験の一年位前のこと。君は新聞は何を読んでいるか、の質問が多くなった。 新聞を読むなら朝日、東大の試験は朝日から出題されるから、のみならず国家公務員の検定も朝日から出題されると、言われた。 雑誌…
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舞台美術家には恵まれてきた。 民話劇では河童天国で一世を風靡した清水崑さんの墨線に助けられた。あの頃の崑さんは、朝日新聞にデスクがあって日々の政治漫画を描いていた。夕刊の締切までは待機していないとボ…
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十七世、十八世中村勘三郎の追善興行、新派特別公演を見てきた。 初めの狂言は川口松太郎の名作「鶴八鶴次郎」新派を代表する芸道物、新内の芸に絡んだ色物である。敗戦間もない昭和25年の演舞場で花柳章太郎の…
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軽井沢にモダンアートの巡礼地ができた。何十回通ったか判らない。亡き池田万寿夫さんも大好きだった。 1981年のセゾン現代美術館の開館は、軽井沢の住民にとってこの上なく喜ばしいニュースだった。 筆者は…
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イスラム国を考えることは、いまの世界を考えることだ。 僅か半年前に国家樹立を宣言したイスラム国だが、ここに内在する問題は今世紀をゆるがすことになるかもしれない。当時イラク北部のモスルを攻撃した兵士は…
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異常な潔癖癖を武器にメディアに登場した坂上忍は、明石家さんまを触媒にしたため、大衆に引かれることなくすんなりと受け入れられた。 「ブスは大嫌いだ」「女は顔がいのち」など、過激なセクハラ発言も、非難さ…
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ミス東洋英和の甘ちゃん振りが誌上を賑わしている。たかが「ホステス」位で、女子アナ内定を取り消すのはけしからんという女子擁護派。いやテレビというのは、本来清潔でなければならない、だからバイトであるにせ…
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グリコのサインは、大阪の名所を超えて日本の名所だったような気がする。 初めて東京から大阪にいったとき、駆け付けたのは戎橋のたもとだつた。2代目グリコが復活し再建されて間もなくだったが、砲弾型の光背の…
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井上まきちゃんから本が送られてきた。 父上であられる前衛画家井上洋介さんと谷川俊太郎さんの著作である。 「こわくない」というタイトルの絵本なのだが、これが実にこわい本なのだ。「こわくないったらこわく…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞