MRJ への期待と不安

by

in

MRJへの期待と不安
 国産の旅客用小型ジェットMRJがようやく離陸した。政府により開発が決定されてから、実に8年かかった。
 占領国によって、航空機製造のすべてを禁止され、根こそぎ資料をもっていかれ、半世紀以上の空白を費やした。
 これでようやくカナダのボンバルディアや、中国の商用飛機に対して渡り合える航空機を手にしたのだ。
 でも心配はある。
 精密技術をベースにした日本独自の製品はことごとく失敗を重ねてきた。テレビもアンプも冷蔵庫も、知恵の限りを尽くして作れば作るほど、売れなくなり、世界の市場から見放されてきた。ウォーマンやガラケーは何故世界からみはなされたのか、肝に命じて失敗から学ぶことだ。
 直近の例として、新幹線がある。日本の技術の粋をつくしたとばかり、アメリカや東南アジアにおお威張りで売り込んだものの、粗雑な中国製新幹線に負けているのだ。
 日本の製品はいいけれども、我々はそこまでのスペックを鉄道に期待していない。少々の時間のロスよりも、メンテナンスの簡便さ、堅牢さ、安さのほうが重要であるというのだ。管制のシステムは完璧だが、それほどの精度は不必要である、といわれてしまった。
 インドネシア新幹線ではいったん決まった商談が中国にひっくりかえされた。
 現在にほんの輸出産業でなんとか頑張っているのは自動車だが、折角生まれた商用ジェットを新幹線の二の舞にしてはならない。
 ユーザーを置いてきぼりにした技術への過信が、新しいプロジェクトの落とし穴になるのだ。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ