LGBT法は自民党没落の始まり

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 岸田首相は就任当時「私は聞く耳をもっている」と繰り返し発言していた。
 その上で「検討します。検討します。」の繰り返しで「遣唐使ならぬ検討使」ともいわれていた。
 が今回の「LGBT理解増進法」強硬採決で決定的なミスをおこした。
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 従来、自民党の岩盤支持層は20パーセントは固いといわれていたが、なんと最近の調査で5パーセントの岩盤が崩れ、二度と自民を支持しないと発言している。今選挙をしたら負けるということだ。
 G7の成果を手土産に衆議院解散をもくろんでいたのが、LGBT理解増進法でできなくなった。岸田政権の終わりだけにとどまらず自民政権の終わりをむかえるかもしれない。
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 岸田さんの周りにすぐれた取り巻きがいないことは、今度のことで明らかになったが、安倍さんを失ったことがこの国の明日にとってどんなに大きな損失であったか、安倍さんはこの法案だけは絶対にダメだといって認めなかった。
 歴史的な日本の習俗とこの国のLGBTの実情を知っていたからだろう。
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 エマニエル駐日アメリカ大使、バイデンアメリカ大統領の横車に乗せられ、さらに稲田朋美、古屋圭司、新藤義孝という日本史知らずの議員によって、日本の保守岩盤層を怒らせてしまった罪はそうとうに重い。
 ひょっとして、LGBT法は自民党没落の引き金になつたかもしれない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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