LGBTとゲイタウン・クリストファー

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 毎年暮れはニューヨークと決めていた。目的はブロードウェイ。
 12月20日以降だと航空料金が高くなるので、15.6日には日本脱出を図り、ケネディ空港が凍る前にはチェックインを済ますようにしていた。
ゲイ黒.jpg
 その年、2000年はやたらゲイの話題が俎上に上っていた。LGBTではないゲイのことである。その年に開催されたシドニー五輪で、日本選手団が、ゲイ・フラッグを身に着けて登場し、観客がのけぞったという事件があった。
 デザインはあの森英恵、彼女はゲイフラッグという事実を知らず不覚にもオリンピック入場式用のガウンをデザインしたのだろう。国際派デザイナーと自負する森英恵としては最悪の選択だった。 ニューヨークに店をもっていたのだから、グリニッジ・ヴィレッジのクリストファーへ行けば、ゲイ文化のなんたるかは即座に理解でき、東京女子大出身の彼女の知性がデザインを許さなかったと思う。
シドニ五輪2000.jpg クリストフア.jpg
 ブロードウェイを見る前に、N.Yのゲイ、レズビアン文化の発祥地といわれるクリストファーに足を向けた。公園の中心には、ジョージ・シーゲルデザインになる白い石膏の彫刻がおかれ、この町のルールを主張していた。二人の白いゲイとレズ・カップルが仲良くたたずみ今日を暗示していた。
 周辺のクラブ、バー、アダルトショップにはくたびれたゲイフラッグが掲揚され、不潔と腐ったモラルが一緒になったようななんとも言い難い空気が流れ、ここにいる自分に当惑してそうそうに引き揚げた。
パレード.jpg  ゲイカップル.jpg
 概して日本人はニューヨークを肯定的にみるが、バッテリーパークからブロードウェイ、五番街、更にセントラル・パーク、ハーレム、クロイスターズまで再三再四歩いて、単純には評価できない独特な価値観をもった異界であるというのが結論に近い。
 ……秋篠宮真子さんは何故あの街に憧れたのか、不思議でならない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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