JAL墜落寸前。

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 いまではCAと呼ぶが、その昔スチュワーデスと呼んで憧れの職業だった頃、JALは日本を代表するエアラインとして、外国にいくならJALで美食と安全の空の旅を楽しみたいとみな思っていた。帰国便で日本に近ずくと振袖姿に着替えたデスが、心優しげに日本語で迎えてくれた。ANAは制服もどこか野暮ったく二流のエアラインと認識されていた。それがいつのまにかJAL墜落寸前、この国のエアラインはANA一辺倒になるかもしれないという。昨今ではデルタ航空やらアメリカン航空の軍門に下るかもとの、ニュースに接しびっくりしている。永年官僚支配と国策に守られてきたJALは、八つの組合と3000億の借金、さらに多くの不採算路線をかかえて、行くも地獄、帰るも地獄、2000億の公募増資をつのっても1400億しか集まらないという悲惨な状態におちいっている。近隣の空港がみなオープン・スカイ政策で活況を呈しているのに、世界一高い着陸料や、航空機燃料税など、国際常識では考えられない施策で、ぬくぬくと官僚に頼ってきた経営が、ここへ来ていっきに崩れ始めた。困った国交省はアメリカに売り飛ばして辻褄を合わせようと言うとんでもない官僚施策が展開されようとしている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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