G・W の赤ん坊の旅

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G・W の赤ん坊の旅
 ゴールデン・ウィークの国内旅行は何年ぶりのことだった。ここ数年、海外での取材が5,6月が多く、5月はじめの旅行の実相を認識していなかった。
 ショックだったのは、赤ん坊の旅人が多かったことだ。 やっと眼が見える位の赤ん坊を伴った若い夫婦の多さに驚いた。赤ん坊に旅行を楽しむ余地はなく、両親の都合で無理矢理連れられているに違いない。
 ベビーカーに乗せられて炎天下の街をゆく赤ん坊、ガタガタ道が赤ん坊に良いはずもなく、うっかりすれば
舌をかみそうな危険にさらされての道行である。感動的だったのは、明らかに生まれたばかり赤ん坊を捧げ持った父親が、ケバイ化粧の妻らしき女のあとを追っかけるようについてゆく博多駅前の風景だった。
 飛行機のなかでは、羽田から福岡までずっと泣き叫んでいる赤ん坊がいた。赤ん坊は泣くのが仕事だから致し方ないといえばそれまでだが、傍らの若い両親が全然あやそうとせずほつたらかしというのには二度驚いた。
周りに迷惑をかけているという意識が全くない。お国の宝を産んだんだから感謝してよ、ぐらいの態度でメークアップに勤しむ茶髪のママが、堂々とわるびれていない。不思議な世の中になったものだ。
 キャリーバックの後に幼児用の椅子が付いている。ゲームに夢中の母親が、ふと思い出したようにキャリーの横から板を取り出し幼児の前に差し込み小さなテーブルとなった。駄菓子を与え、キャリーを引いて混雑のプラットホームを歩き出す。引っ張っている母親には後の幼児は見えないので、何が起きても不思議はない。こんな仕掛けのトランクを売る業者にも呆れるが、買って子供を乗せ、駅の混雑をものともせずに歩く母親にもびっくりである。母親の注意は子供より、スマホのなかのゲームなのだ。
 旅の途中で巡り合った赤ん坊の旅は、おおむね若い両親の欲望の犠牲になっていた。
 三歳以下の子供は飛行機に乗せてはいけない。鼓膜が破れるかも。誰も注意しないのが不思議だ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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