ACタイムの多さにTV局の現実が見える。番組セールスが順調であれば、本来コマーシャルが入るべき時間にコマーシャルがなく、その代替商品としてACから支給されているのが、あのACタイムなのだ。東北関東大震災はスポンサーの撤退を招き、番組セールスはおろかスポットCMも大量のスポンサーが流失した。
セールスは代理店まかせ、番組の制作も下請けまかせ、テレビ局は編成とそろばん勘定だけやっていれば良い、という長い間のの大名商売に慎太郎言うところの天罰?が下ったのだ。
民間放送の黎明期、番組が売れずにコマーシャルがない番組は随分あった。コマーシャルは番組全体の一割以下という規制はあったが、かわりになにを流さなければいけないという規制はない。テレビ局としての認可基準をみたしていれば、何を流してもいいのだ。
コマーシャルのなくなった分その時間帯は若手スタッフの腕の振るい処だった。30秒または1分もあれば、かなりの映像が創れた。現代美術にコメントをつけたり、立木義浩のフォトに寺山修二の短詩だったり、子供の絵と綴方だったり、名作文学のさわりだったり、とにかく映像への若い志が、短い時間に集約されて面白く楽しい時間だった。そこから次の時代を担う才能がうまれた。
いまテレビ局はマネージメントがすべてを支配し、現場に志がない。情熱がない。アイディアがない。工夫がない。テクニックがない。だからスポンサーが流失したあと、呆然とスポンサーの組合たるACの支給プロク゜ラムを唯唯諾諾と垂れ流しつづけているのだ。ステブレには自社番組の宣伝が当たり前という自堕落ぶりだ。
そこで、自局のアイデンティティを主張しようというプロデューサー、志のあるディレクター、が見当たらない。幹部スタッフも視聴率と営業利益の奴隷と化している。かくてテレビの信用は坂道を転げ落ち続けるのだ。
CMに毒されたテレビ局。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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