東京
の記事一覧
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東洋一の大劇場だった国際劇場が閉じられ、SKD松竹歌劇団が解散して何年たったことだろう。 この間松竹から見捨てられた歌劇団生徒たちのなかから、いくつかのチームが生まれ、レビュウの灯を消したくないと小…
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江戸っ子だからという理由にかこつけて昔から「アサリ」が大好きだ。 春 潮干狩りのころになると、本郷の裏道にも「からあさり! からあさり!」の売り声がきこえてきた。「からあさり」つてなんだろうと疑問を…
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御飯の友といえば戦争中は、熊本の「ふりかけ」と決まっていた。 ふりかけは、カルシゥムの不足を補うために、薬剤師の吉丸末吉というひとが作ったもので、魚の骨をくだいて御飯に合うように工夫したものと教えら…
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朝のギンブラを楽しんでいるのは、ほぼ中国の人々だ。 朝から自転車に乗って疾走しているのは中国人だ。銀座でモーニングをやっているカフェにいくと中国のカップルが多い。 銀座5丁目の表通りにある旅行鞄の店…
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銀座Gallery座STONEに於ける星野和彦PARIS展帰国記念も無事終わりホッとしています。 共にB29の爆弾をくぐった都立弐中の仲間、武蔵野の栗拾いに興じた成蹊の友、帝劇文芸部のミュージカル時…
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戦後はじめの下着やは銀座6丁目並木通りの角にできた「ジュリアン・ソレル」だった。 その店にはハリウッド直送のピンクのショーツやランジェリー、フランス渡りのブラ、ガードルなどが飾られ、横文字かぶれの…
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銀座の柳がとうとうカツラに敗れた。 銀座の並木といえば見たことのない人でも「ヤナギ」と答えるほど、ぎんざと柳の仲は濃密な間柄だったのだが、オリンピック2020に向けて、銀座通りにはいま着々と「かつら…
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築地でしか見ることのないターレが、陸続として環状2号線の橋を渡っていく。 2100台にも及ぶターレが、通行禁止の国道を橋を渡っていくさまは映画のロケのような光景である。ターレの時速はせいぜい15キロ…
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花街は文化サロンだった。 そこにくる人は政界、財界、官界、學界のトップクラスから、市井で成功を納めた商人やら、芸術家、芸人にいたるあらゆる階層の人々がいた。そうした人々が本業を離れて自己解放する場所…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞