東京
の記事一覧
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朝顔市が開かれている。 夏の準備は縁の下の片隅で冬を過ごした風鈴を洗うことから始まった。水につけた風鈴はたちまち美しさを取り戻し、水草と金魚が色鮮やかに甦った。七月の始まりは忙しかった。 七夕飾りを…
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「海の見える劇場」として六本木に俳優座劇場が生まれたのは、1954年4月だった。 こけら落としは、アリストパネスのギリシャ劇「女の平和」、男達はすぐ戦争にいく。女たちは戦争にいく男達とのセックスを拒否…
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六本木のガーデン・デザイナー高山恒久さんからお誘いをうけた。 「成蹊学園の櫻祭に行きましょう」というのは、高山さんも筆者も共に成蹊に学んだ仲間だからだ。 90才を超え、まったく成蹊に行っていない、と…
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昭和回帰の風潮とともに「銀ブラ」の起源について、論争が起きている。 銀座八丁目のカフェ・パウリスタは、うちのブラジルコーヒーを飲むことを即ち「銀ブラ」といったと主張、パウリスタでブラジル・コーヒーを…
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花街には「正月の櫓くぐり」と呼ばれる風習がある。 七草粥までに櫓の上がっている芝居小屋に足を運び、歌舞伎を見なければならない、ということだ。 舞の腕を上げるための呪術のようなものだが、ここ3年中国コ…
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犯人は広尾の女親分である。 銀座のアスター本店の総料理長が変わったので、試食会をやるから出てこい、というお達しだった。 事前にいろいろとご案内を頂いていたのだが、状況をまったく把握できないまま当日を…
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11月の「軽井沢ぶんか組」秋のテーマは「誰も知らない六本木」です。 殿様の六本木から、帝国陸軍の六本木、そして第二次世界大戦後のアメリカの六本木、都電33番の新劇の六本木、国際食グルメの六本木そして…
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バリから帰国したとき、友人たちが集まってパーテイを開いてくれたのが、六本木のキャンティだった。 キャンティは開店してまもなく、手作り風なインテリアが、それまであった東京のどの店とも異なった魅力ある雰…
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今、中国で「評判の東京都」ときいて、ハテ何のこと? 中国の貧乏人にとって、東京へ行って町中華でも、雑貨屋でも起業するのが世界中でもっとも簡単で楽というのだ。 中国国内では絶望的に起業不可でも、東京へ行…
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少年の夏、本郷西片町の夏、鳶の親方の家の井戸は大きかった。 西瓜を荒縄でくくって、井戸に落してあった。西瓜は遠くの薄暗い底の水に浮いていたような気がした。 いつも縁日に連れて行ってくれたおせいさんの…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞