東京
の記事一覧
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ちいさな旅行に加担した。予算をしぼり、コスパ100%の旅にしたいという要望である。 成田山新勝寺なら、印旛沼、利根川の都合から「うなぎ」一本で決められる。 信州善光寺なら宿坊の精進料理という考え方も…
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坂道をのぼるとそこに山の上ホテルがあった。 「来週は町田にいないから、駿河台の山の上ホテルに来て」 遠い冬の日の午後、遠藤周作さんに告げられた。明治大学に通っていた人にとっては、隣の旅館のようなもの…
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朝ドラの福来スズコを見ると悲しくなる。 あまりにもあの笠置シヅ子と違う。 笠置シヅ子が焼跡のなかの日劇に登場したとき、人々は彼女の率直で開放的なバイタリティに圧倒され、敗戦と貧困にあえでいた荒野に…
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一番江戸にちかい東京の祭り……といえば「おとりさま」である。 この日深夜12時の一番太鼓とともに江戸っ子は浅草鷲神社に詰めかける。そんなに広くない境内は縁起熊手の小屋で埋め尽くされ、あちこちから景気…
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小唄、常磐津、河東節、哥沢,清元、尺八、長唄、端唄、一中節、ずらりと揃った旦那衆の邦楽演奏と、新橋芸者の立方揃い踏み、なかなかの舞台は新橋演舞場、旦那衆なかには女性衆もすべて銀座の大店のご主人、資生…
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8月16日午後、不幸にも東京駅に遭遇した。 台風、ゲリラ雷雨、線状降水帯、竜巻など次々と襲い掛かる異常気象に東京駅はかって経験したことのない次元の違う混雑に見まわれていた。 駅の構内は、ホームも、階…
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家康が江戸入府し城造りを始めた頃、同時に目の前の日比谷入江の埋立を始めた。 その頃、大川の入口やお城前の浜に沢山いたのが、うなぎだったと言い伝えられている。 この江戸入江のうなぎに眼を付け、どんぶり…
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1825年文政8年7月26日、今日江戸中村座で初演されたのが、鶴屋南北による「東海道四谷怪談」。 以来夏芝居の極みとなったのが四谷怪談、容姿に難ありのお岩さんと伊右衛門の物語り。 婿入りした伊右衛門…
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浅草寺の「四万六千日」ほど、江戸っ子の都合に合わせた功徳はない。 誰が考えたのか、この日お参りすれば46000日分お参りしたことになる。46000日といえば、126年分に当たりどんなに長生きの人でも…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞