芸能界
の記事一覧
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日本新聞協会のエッセイ募集広告をみて、一瞬冗談かと思った。 特別審査員としてテレビ界のカマトト娘として著名な小林麻耶のアップがのっている。「新聞という病」「新聞の終りの始まり」と年々新聞への信頼が失…
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梅沢冨美男がとうとう転落した。「この番組は俺で持っているんだ。なんだ、この野郎!」と豪語していた梅沢が、プレバト春光戦で最下位に転落した。そもそも彼には、さもしい地上波テレビに出演しているという自…
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山田洋次監督が晩節を汚した。 目下公開中の「男はつらいよ お帰り寅さん」のアイディアが、実は美術家横尾忠則のアイディアだったというのだ。山田洋次はホホ被りの状態だが、横尾忠則が週刊誌まで巻き込んで怒…
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…君が笑えば 世界は輝く 誰かの幸せが 今を照らす ジャニーズのコンサートのフィナーレ曲かと思った。即位の礼祝典曲ときいて驚いた。 …大丈夫 鳥は歌っている 大丈夫 空は輝いている 大丈夫 水…
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浅草花屋敷のなかにちいさな劇場ができた。花劇場という。奥行がないので、恐らく演芸的なものをイメージした劇場なのだろう。 舞台を張り出し更に突き出しをつけて、STAS REVUE が挑戦している。「2…
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地上波のテレビでは、唯一「プレバト」を見る。夏井先生の芸人に媚びない姿勢がいい。俳句を学ぶには「プレバト」を見るに限る。大学時代の草田男先生以来のことである。金秋戦決勝のお題は「歩行者信号」。一見無機…
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芸能人ほど弱いものはない。ある日仕事がなくなれば、即座に路頭に迷う。 ましてや病気でも患えば、とんでもないことになる。大手プロダクションに所属していれば、保険にはいっているが、弱小プロダクションでは…
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木曜午後7時の「プレバト」は毎週楽しみにしている。「使える芸能人はだれだ!? プレッシャー・バトル」という正式題名があるとは知らなかった。 なかでも才能査定ランキングが楽しい。本人は一流芸能人と思い…
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芸能人には区別がない。差別ではなく、区別である。 もう少し親切に表現すれば、プロの芸能人とアマチュアの芸能人の区別がつきにくいのだ。 生活のできる芸能人はプロの芸能人といえるが、生活のできない芸能人は…
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ちょっと売れてきた民放の女子アナは、いつフリーになって稼ごうか、と思っている。がしかし、フリーになったからといって稼げるというのもそう簡単なことではない。 最近の例からみても、成功したのはNHKの「…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞