京都
の記事一覧
-
コロナ・ホームステイ週間のおかげで、奇跡に近い旅ができた。 戦国時代の近江の国のありさまが手にとるように理解できたのだ。 まず近江の入口に建つ佐和山城、秀吉三奉行のひとり石田三成がここに居城を定めた…
-
都の桜がぜんぶ散ってなんたる不運と嘆いていた時、仁和寺に行けば御室の桜がありますえ、と教えてくれたのは祇園の千子さんだった。 背のひくい見事な桜が、中門の前に奇跡のように咲いていた。四月も末の頃、原…
-
祇園の名妓竹葉さんが亡くなった。 竹葉さんは古き良き時代の芸妓としての欣嗣と美しさを失わず、花街の内からも外からも慕われたふところの深い人だった。 戦後まもなく初めて祇園に誘われ、都をどりの舞台に…
-
昔といっても何十年か前、九州指宿にロケにいったことがあった。 六本木はまだ冬、寒さのなかにあったが、指宿にはもう春がきていた。黄色い絨毯、開聞岳のふもとに見事に広がっていたのは、菜の花畑だった。出逢…
-
大劇場についたら、いきなり眼にはいったのは冨美代さんの大女将、祇園甲部の総務である太田紀美さんだ。次々と劇場につくお客さんにご挨拶である。ロビーには、椿の柄の黑留袖に井菱の金の帯を締めたお姐さん方…
-
「うわぁ、この街は長安の都だ」「なんでここに長安があるんだ!」 観光の来日中国人が例外なく感動するのは、「京都」の街並みや「寺社仏閣」のたたずまい、さらに「京都御所」などに歩を進めると、中国の古都長…
-
夏の「おいど」は元気になる。 冬のあいだ、かくまわれ、大事にされてきた「おいど」が突然に存在を主張し、誇張して、見せつけてくる。もう「おいど」ではない。「ヒップ」というべきか。舶来品のごとき表情をう…
-
八十八夜が近ずくと、あちこちから新茶が届く。京都柳桜園さんから、肥後人吉三翠園から、あるいは魚河岸茶から、ゆつたりとしたお湯をそそいでいただくと長生きができるという。 産地では、手もみ体験とか、茶摘…
-
6月30日には否応なしにたべなければならない。相方は虎屋さんでしつらえた「水無月」をもってかえってきた。 「水無月」とは、ういろうの上に小豆ののった行事菓子である。この菓子を食べてきたり来る夏に供え…
-
今頃は京都で「葵祭」がひらかれている。 葵祭は「賀茂祭」ともいわれ、都ではもつとも古いまつりでもある。祇園まつりが町衆のまつりだったのに対して、葵祭は朝廷と貴族のまつりだった。 御所と下鴨神社とそし…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞