軽井沢
の記事一覧
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自動車ショーに行かなくなってもう30年もたつだろうか。 戦後はじめての自動車ショーは日比谷公園だった。のち築地から晴海そして幕張へと移って、いつの頃からか、モーター・ショーの文字を見ても興奮を呼ばな…
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久しぶりにとんでもないコンサートにであった。 「高原で聴く音楽の散歩」と題するグローバル・クラシック・コンサートである。 軽井沢で3泊4日の旅を楽しみ、その最終日を大賀ホールでクラシックを楽しむとい…
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「自分は絶対に間違わないという傲慢と、媚のちぐはぐさは、この国の高学歴女性にみられる幼稚な全能感である。」と書いたのは北原みのりである。 六本木ヒルズの自宅、永田町のオフィス、そして軽井沢の別荘と絵…
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何年か前、環境相会合があった。通行止めやら、営業停止やら、迷惑ばかりで、町の環境は一向に良くならなかった。 今度は外相会合である。あいかわらず通行止めと営業禁止、爆発物発見のリハーサルで大人たちは忙…
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軽井沢の噂はつるやというスーパーマーケットから拡散する。 地元民はたんたんとしてるが、新住民といわれる近頃この地に引っ越してきた人々…この場合はママ達のネットワークから、あらぬ噂がじわりと町中にひろ…
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降り積もった雪をそっと開けるように春を告げる「雪割草」、こんなに沢山の雪割草があるとは思わなかった。 「雪割草」には可愛いというイメージが付きまとう、頬っぺたを少し赤くして冷たい空気にハッーと息をは…
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帝劇文芸部にいた頃の昼飯は、有楽町ガード下の定食屋だった。 六本木では俳優座前の外食券食堂だった。いづれもコスパに優れた町食堂だった。 ディナーのフレンチやイタリアン、料亭とは全く違う素朴な日常があ…
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鮨屋の旦那、自分の寝酒の肴に、ひそかにサンマの押しずしを作っていた。 客に見つかり、「おっさんずるいぜ。こんな美味いもん一人でコッソリ食うなんて」「どうして店に出さないんだ」 「冗談言っちゃいけない…
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軽井沢に藤田嗣治作品に特化した美術館ができた。 安東美術館という個人コレクターの想いの結晶である。軽井沢にはすでに、作家個人に特化した美術館はいくつか存在するが、ここまで充実した美術館はない。 乳白…
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深夜なにげなくNHKテレビを付けていたら、「街角ピアノ」が映し出されていた。 取材と言うほどでもなく、定点観測のようなゆるい映像だったが、深夜の山岳映像のように環境テレビにはまっていた。 通りかかっ…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞