歴史
の記事一覧
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昭和回帰の風潮とともに「銀ブラ」の起源について、論争が起きている。 銀座八丁目のカフェ・パウリスタは、うちのブラジルコーヒーを飲むことを即ち「銀ブラ」といったと主張、パウリスタでブラジル・コーヒーを…
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「春告魚(はるつげうお)」とは、ニシンのことである。 安曇野の白鳥たちが北帰行を始めた頃、ニシンの群が北海道にやってくる。 学生時代、春の足音がきこえる冬の終り、いつも北海道に行きたくなった。 夏の…
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子供の頃は「紀元節」だった。戦争に負けたおかげで「建国記念の日」になった。神武天皇が奈良畝傍山の麓で、建国の宣言をし初代天皇になった。それで充分なのだが、戦後学者や教育者が寄ってたかって、あれは真実で…
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学生時代のロングドライブ、東海道…国道一号線をひたすら走って京都へ行く。 仲間の2台か3台の車とともに日本橋からスタートした。すねかじりの仲間ゆえ、車はせいぜいコロナか、ブルーバード、ヒルマンに乗っ…
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サッカーW杯カタールで日本チームがクロアチアに負けた。 八強への夢は冷や水とともに消え去った。 これでようやくメディアに蔓延していたサッカー熱も少しは平静さを取り戻すことだろう。 ここに至るこの国…
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上野の韻松亭(いんしょうてい)に初めていった。 本郷に生まれて何をしてたと言われそうだが、90年その機会がなかったのだから仕方がない。 たまたま小伝馬町の姉さまに連れられ、晩夏の上野へ処女訪問という…
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バリから帰国したとき、友人たちが集まってパーテイを開いてくれたのが、六本木のキャンティだった。 キャンティは開店してまもなく、手作り風なインテリアが、それまであった東京のどの店とも異なった魅力ある雰…
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8月29日は「肉の日」だそうだ。 戦後初めて、肉を意識して食したのは六本木の「チャコ」だった。 進駐軍とともにやってきたようなひたすら分厚い肉を眼のまえのオープン・ストーブで焼いてくれた。 炎ととも…
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「戦争になったら、あなたは国のため戦いますか?」 世界各国の18才以上の男女を対象にした「世界価値観調査」の設問のひとつである。 日本は13.2%、しか立ち上がらない。世界79カ国中最低というレポー…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞