文化
の記事一覧
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築地でしか見ることのないターレが、陸続として環状2号線の橋を渡っていく。 2100台にも及ぶターレが、通行禁止の国道を橋を渡っていくさまは映画のロケのような光景である。ターレの時速はせいぜい15キロ…
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軽井沢には巨大なアウトレットがある。 中山道由来の軽井沢よりも、この軽井沢プリンス・ショッピング・プラザのほうが軽井沢の顔になってしまった今日この頃だ。都会から友人がくると、女子供はまずこのアウトレ…
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この国は昔から「礼法」の国といわれ、「礼儀」ということばは、教育の基本だったし、社会生活の常識だつた。 ヨーロッパの先進国が、日本を評価したのも日本人の礼儀とか、親切にたいする尊敬の念からだった。後…
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秋の味覚といえば「松茸」にとどめをさす。 韓国やブータンに行けば、それなりの「松茸」文化はあるが、日本人のそれほどこだわったものではない。料亭では、松茸のお目見得です、とばかりに早出の焼き松茸やら、…
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花街は文化サロンだった。 そこにくる人は政界、財界、官界、學界のトップクラスから、市井で成功を納めた商人やら、芸術家、芸人にいたるあらゆる階層の人々がいた。そうした人々が本業を離れて自己解放する場所…
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密かに財界のパトロンがいて、文壇人に愛されて、そしてなによりも美貌で……、というのが夜の銀座を支配するオーナーママのイメージだった。それがすっかり様変わりし、「貴方は銀座のタカシマを知ってるのか」と…
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秋とともににほんのあちこちで芋の食味会が始まる。 山形の芋煮、今朝のテレビでは里芋の盛大なまつりをやっていた。秋は芋の季節だということを改めて認識した。 「焼き芋~ヤキイモ」という掛け声もきかなくな…
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食べ物やの看板は、メニューのそれぞれによって微妙に異なる。 上等な懐石料理やには、看板さえ出していない所がある。うちでたべたければちゃんと調べてこい、看板たよりにくるような客はいらない。 微妙に上か…
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台風一過…思わぬ友人から思わぬご招待をうけた。 リュートの演奏会を自宅でひらくので、お出掛けになりませんか。軽井沢ではこうしたプライベートなサロン・コンサートがまま開かれ、大賀ホールで開かれる鳴り物…
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中国、韓国の漁船やら台湾の大型船が来て根こそぎ獲っていってしまうので、今年は秋刀魚が期待できないと伝えられ、がっかりしていたところ、突然に根室、花咲港で秋刀魚の豊漁が知らされ、とにかく嬉しい。 港の…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞