食
の記事一覧
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鮨屋の旦那、自分の寝酒の肴に、ひそかにサンマの押しずしを作っていた。 客に見つかり、「おっさんずるいぜ。こんな美味いもん一人でコッソリ食うなんて」「どうして店に出さないんだ」 「冗談言っちゃいけない…
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上野の韻松亭(いんしょうてい)に初めていった。 本郷に生まれて何をしてたと言われそうだが、90年その機会がなかったのだから仕方がない。 たまたま小伝馬町の姉さまに連れられ、晩夏の上野へ処女訪問という…
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バリから帰国したとき、友人たちが集まってパーテイを開いてくれたのが、六本木のキャンティだった。 キャンティは開店してまもなく、手作り風なインテリアが、それまであった東京のどの店とも異なった魅力ある雰…
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8月29日は「肉の日」だそうだ。 戦後初めて、肉を意識して食したのは六本木の「チャコ」だった。 進駐軍とともにやってきたようなひたすら分厚い肉を眼のまえのオープン・ストーブで焼いてくれた。 炎ととも…
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徳川家康の昔、その居城岡崎城から西へ八丁、旧八丁村でつくられてきたので「八丁味噌」。 「まるや」と「かくきゅう」の大きな桶にまんじゅう石を積んで、長期熟成する味噌の味は日本中のグルメが知っている。 …
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信州には「塩の道」がある。 京都には「さば街道」がある。 パリには「魚の道」があった。 フランスの北の漁港ブローニュ・シュル・メールの魚や大通りから、パリに向かって毎日獲りたての魚を運んでいた。 …
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少年の夏、本郷西片町の夏、鳶の親方の家の井戸は大きかった。 西瓜を荒縄でくくって、井戸に落してあった。西瓜は遠くの薄暗い底の水に浮いていたような気がした。 いつも縁日に連れて行ってくれたおせいさんの…
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夏の暑さの楽しみは、浴衣を着ての縁日だった。 子供心に八幡様の縁日は、異界の出来事…真夏の夜の闇に現れた不思議の世界だった。 祭りばやしを聴きながら、裸電球とカーバイトの匂いのなかに、金魚がいたり、…
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江戸のマルチクリエーター・平賀源内の考えたキャッチコピーというのが面白い。 夏場不人気の鰻やの旦那が、平賀源内に相談したところ源内は即座に「本日土用丑の日」と書いて渡したといわれている。 昔から江戸…
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明治になるまで「菓子」の祀りとして「嘉祥」という行事があったそうだ。 旧暦6月16日、新暦7月14日に当たるその日、大名たちは遅れてならじと江戸城に参内した。 大広間には見渡す限り盆にのったお菓子が…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞