食
の記事一覧
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軽井沢町藤巻町長とあいたいで写真を撮った。 子供の描いた虹の絵をいただいた。お米券もどっさりついてきた。 どうやら僕は老人のアイテムに入るらしい。おめでとうございます、といわれ、答えに戸惑った。あり…
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80年食べ続けて少しも飽きない定食メニューがある。 「牡蠣フライ」である。冬になって「牡蠣フライ」始めました、の貼り紙をみると周りのメニューが眼にはいらなくなる。 有楽町のガード下でも、三田の田町通…
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少女はいつも水を飲んでいた。 仕事に入る前には必ず水をのんでいた。どこか遠くにでかける時も、必ずといっていいほど水をのんでいた。始めは喉がかわくものを食べたに違いないと、おもっていたが、その内にいや…
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「火鍋」はじわじわと人気を広めている。 京都にたどりついた火鍋がしゃぶしゃぶの起源だという説もあるが、中国わたりの強烈な刺激鍋が日本人には歓迎されず、姿をかえて「しゃぶしゃぶ」に変身したともいえる。…
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暑負けの胃袋に効くのは、七色唐辛子だ。世界中を旅しても、ようなものはない。 テーブルの塩胡椒に混ざって、七色唐辛子があるとなぜかほっとする。ヨ―ロッパの友達もたまの便りに七色唐辛子を送れとある。江戸…
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ようやく軽井沢の夏も終わろうとしている。 昔は8月20日の旧軽井沢にあるお諏訪神社の仕掛け花火がお別れパーティーの役割をになっていた。「ごきげんよう、来年までのお別れですね」「では東京で」いろいろと…
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久しぶりに「香川の女(ひと)」と言葉をかわした。 学生時代、初めての船の旅は香川・高松だった。本州はどこもかしこも米軍の空襲で焼跡だらけだったが、はじめて四国に上陸したとき、ここは蓬莱山かと思うほど…
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うなぎに満足すると、どぜうを思い出す。 浅草には飯田屋と駒形どぜう二軒のどぜうやがあるが、足が向くのは駒形のほうだ。 駒形には隅田川の川風がふいているような気がする。入り口の大柳がいつも揺れているせ…
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牛乳パンの噂を度々聞くようになった。 超高級食パンの間をぬって、長野発ご当地パンの話題があちこちにでている。東京の大学に入ったデスクのお嬢さんは、牛乳パンを長野限定とは知らず、学校の近所を探し回って…
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江戸っ子にとっての美食は、すし・天ぷら・蕎麦・うなぎ に尽きる。 軽井沢には寿司と蕎麦の名店はあるが、天ぷらとうなぎは見当たらない。必然的に東京に出掛けた時は、天ぷらかうなぎになる。銀座並木通りには…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞