祇園
の記事一覧
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「都をどり」が150回の記念公演を迎えた。奇跡の150回である。 日本人が誰も見たことのなかったレビュウ形式の舞台を明治の初めに創った。 それも祇園町の井上流の舞だけで構成された。出演者も300m四…
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今日壱月十三日は「初寄り」の日だ。 祇園甲部の芸妓、舞妓全員が新門前の井上流家元の稽古場に集まる。 女紅場と呼び、馴染んでいる「祇園女子技芸専門学校」とともに、井上流家元の稽古場は彼女たちにとって重…
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一月七日、祇園甲部の始業式である。 あちこちの置屋さんから、黒紋付の正装に稲穂のかんざしをつけた芸妓、舞妓が、歌舞練場に集まって来る。 正月を故郷で過ごしたり、短い海外旅行を楽しんできたり、思い思い…
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祇園甲部の秋の恒例温習会にいつてきた。 新しく耐震工事のできた甲部歌舞練場での今年の都をどりには出席できなかったので、7年ぶりの歌舞練場である。 7年かけて新しくしたという痕跡は素人眼には全く判らな…
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この朝、仕立て下ろしの浴衣を着て祇園甲部の芸舞妓一同、八坂神社に「おせんど参り」をする。 お千度ときけば、お百度参りを連想する人がいるかもしれないが、いっぱい、沢山、度々の言霊(ことだま)であり、象…
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ようやく「かき氷」の季節がきた。 「かき氷」は平安時代からあったそうだが、庶民には手のとどかない高級品だった。 清少納言枕草子には「あてなるもの…甘蔦(あまずら)をかけた削り氷」とあり、御所に奉仕す…
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祇園甲部の歌舞練場が7年間の時を経て、ようやく新開場を迎えた。 この春の都をどりは久しぶりに祇園甲部のまんなかにもどって、花街の伝統、習俗と密着した「をどり」となることだろう。 歴史ある歌舞練場にそ…
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いつの頃からか「正月はホテルに泊まる」「正月は海外旅行に行く」というのが当り前になったが、学生時代の正月は「名画座」にいくというのがあった。 あの頃の名画座には外国の風景があったし、外国の人々の暮ら…
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コロナ禍のお蔭で町は死んでいる。 飲食店やカフェも大変だったが、瀕死の状態に追い込まれたのが花街だった。 密はダメ、お酒も駄目では花街は成り立たない。 天下の祇園町といえども、手の下しようがない。…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞