日記
の記事一覧
-
さくらの頃になると「お勢以さん」(オセイサン)を想い出す。 お勢以さんの田舎は秋田で、小学校の高等科をでてから上京した。叔母さんの縁をたどって本郷西片町の髪結いに入った。髪結いの修行は台所のお手伝い…
-
2018年5月31日(木)~6月8日(金)パリ、エチエンヌ・ドゥ・コーザン・ギャラリー に於ける「星野和彦パリ個展」がJapan Moment 公式プログラムとして開催される。 サブタイトルは「 そ…
-
男に負けたくない! からだの線、素敵でしょ! これ以上太れない! 種々雑多な女性の思いを引き受けて、足より細いパンツが流行した数年だった。すご細ストレッチ・パンツ、すご伸び・くせになる履き心地ジャ…
-
身近にこの春大学を卒業する娘をもつ女性がいた。たまたま話題が卒業式となり、式服の話となった。つい先日「晴れのひ」なる貸衣裳やが、成人式当日に倒産騒ぎを起こし話題となったが、近頃の女子大生は振袖をきる…
-
オリンピックを機会に、スポーツに関わる人々の裏と表がみえて、なかなかに興味深い。 なんといっても元森総理大臣と小池都知事のせめぎ合いは、裏が見えないだけに見応えがあった。競技場問題では、主催は東京都…
-
軽井沢でさえ朝から中国人の旅行客が多い。銀座へいくと中国人の数はもっと多い。香港にも上海にも買物目当てのブランドショップは沢山あるのに、何故日本に来るのか判らない。 中国の人々はあまりタクシーに乗ら…
-
勉強しないのは、左翼政治家だけかと思ったら最近は日本人全体が勉強しなくなった、というニュースに出くわした。 世界一ボストン・ハーバード大学のキャンパスでは、ほとんど日本人の姿はみない、というのだ。キ…
-
オマケといえばグリコに決まっていた。 初めての大阪で心斎橋からグリコの電飾看板を仰ぎ見たときの感動は忘れられない。幼い時のグリコの思い出が次々と浮かび、不覚にも涙を流しながら電飾看板と対峙した。 オ…
-
北陸新幹線の一見立派な駅舎のかたわらに、大正・昭和の香りのする旧軽井沢駅舎がある。 町は保存し、町民に開放しないことで、この駅舎の佇まいを守ってきた。ところが2、3年前どうしたことか、しなの鉄道に貸…
-
2011年に始まったGINZA FASHION WEEK もこの春で14回となった。当初は東日本大震災で銀座に閑古鳥がなくようになり、その危機感から銀座三越と松屋銀座が手を取り合って始めた企画だった…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞