日記
の記事一覧
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四代目中村雁治郎襲名の舞台をみた。 襲名披露のための「芝居前」と呼ばれる趣向が楽しかった。江戸時代から伝わる祝典劇だが、芝居小屋の前に出演俳優が顔を揃え、公演の成功をを始め、歌舞伎の繁栄を願う一幕。…
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1960年代後半から70年代にかけて、グルメを自認する若者や社長さん族は銀座の角のソニービルの地下に足を運んだ。そこにパリの名店マキシム・ド・パリ東京店があったからだ。 パリの本店を忠実に再現したア…
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流行はにほんを褒める。 日本人が改めてにほんを褒める、あまり気持ちのいいものではない。 レズか、オカマか、長いこと田舎ものだった日本人がオリンピックを機に足元のにほんに眼をむけるようになったのはご同…
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18年も村長として君臨していた「殿」が訴えられた。 相手は「姫」と呼ばれて、村長のペットであったろうと思われる村の女性職員。役場のなかで、「殿」と「姫」と呼び合っていては、充分に関係を疑われて当然か…
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あちこちで質問される。とうにテレビ局は辞めているので、いまさら筆者に尋ねられてもと思うが、なんとなくテレビを見ている人にとっては、あの人は裏事情に通じているのだろうと誤解している。 裏事情でもなんで…
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「マツコとマツコ」という番組を見て、感無量だった。 生身のマツコとアンドロイドのマツコが向かい合って当惑したり、共感したりのただのバラェティではあったが、アンドロイドの存在が通用する時代になった。 …
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芦田淳2015秋冬展が開かれた。 今回はいつもとは違う趣向でご覧いただきます、とあったので前回の新国立美術館展をさらに前進させたものかと期待して六本木のグランド・ハイヤットに向かった。 いつもの20…
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この国では当たり前になっている国民皆医療保険だが、日本人の大好きなアメリカではとんでもないことになっている。 労働人口の3人に一人が職につけず、毎年150万人の人々が、自己破産している。破産の理由の…
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少年時代の一時期、日曜日の楽しみはお寺にいくことだった。 お寺の日曜学校が楽しかった。脇本堂でのお参りをすますと、お寺の裏庭へいった。裏庭はとても広かったし、若い坊さんが紙芝居をしてくれた。紙芝居は…
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軽井沢町民オペラの第四回公演に、ドニゼツティの「愛の妙薬」が取り上げられた。世界中でこの作品ほど、気楽に愛されている作品はない。達人ドニゼッティが僅か二週間で書き上げたのは、自家薬籠の素材によって、…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞