日記
の記事一覧
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セーヌ川の中州シテ島から左岸のサンミッシェルに渡る。川べりにはブキニストと呼ばれる古本屋がならんでいる。色褪せたグリーンに塗られたブリキの箱のふたを開けて、それぞれに本の商いをしている。医学書の専門…
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セーヌを豪華な大型船で、食事をしながらクルーズする。両岸は世界遺産になっている重厚な建築群、これはパリ観光の表通りだ。 それに対し、パリの東、下町の10区11区を流れる小さな運河、わずか4,5キロし…
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…18歳の彼は、子供のように美しく、青年のようにつよかった。 人生も秋に差しかかろうとしていた私が、彼に出会ったのは ある夏だった。 彼はコトが終わった後、「悪くなかったよ」憎いほどの無邪気さで言っ…
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ダリダほどドラマティックな愛の一生を送った歌手はいない。 21歳のとしミス・エジプトになり、大志を抱いてパリへ渡った。 プロデューサーとして彼女を育てたリュシアン・モリスに恋し、彼を奥さんから奪って…
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パサージュ…直訳すれば、ただの通り道だが、今パリに残る10数か所のパサージュには、19世紀初頭のパリの人々の生活感、通り道への美意識が色濃く残っている。 そうしたパサージュのなかでもっとも美しいとい…
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ペール・ラシェーズ墓地はパリ最大のお墓だ。 ルイ14世のざんげの相手だったラシェーズ神父の隠棲の地だったことからこの名前が付いた。1804年ナポレオンによって造られたのが、この広大な死者の楽園なのだ…
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日本のテレビ「情熱大陸」で取り上げたらしい。 そこでパリでも名を上げて、予約の取りにくい日本食レストランになった。「Sola」というレストランだ。 ノートルダム寺院の対岸、セーヌ川沿いのモンテベロー…
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それは土曜日の夜だった。 ルーブルのあちこちで白いドレスを着た女性を眼にした。こころなしか男性も白いスーツや、白いシャツの男が多い気がした。 アート・ショッピングの会場はルーブル中庭の地下にある大ホ…
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モンマルトルの丘を歩き回るのは相当にきつい。何世紀かの歳月を耐えてきた石畳の道、石はデコボコになり、足元がつねにぶれる。よほど足首がしっかりしていないとグネッテしまうのだ。それでも歩きたくなるので、…
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パリの街角は映画の街角だ。 トリュフォーの「大人は判ってくれない」には、いつもエッフェル塔が映っていた。サンマルタンの運河へ行けば、マルセル・カルネの名作「北ホテル」がそのままにある。パリ一番のジャ…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞