日記
の記事一覧
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うなぎというのは、青汁よりもヴィタミン剤よりも、夏のスタミナ源として信用されてきた。 だから立身出世もうなぎ登り、とうてい成し得ないことをうなぎの木登りと、古来いいなぞらえてきた。土用の丑の日にうな…
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「地震、雷、火事、親爺」少年時代、悪ガキどもの怖いものベストフォーだった。 其れが今では「地震、津波に大雨、洪水」親爺はどこかへ消えてしまった。親爺どもは、憲法改正反対、モリカケ追及、安倍おろしとま…
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さぁ今日は何処でお茶しようか、とベットから起き、顔を洗いながら考える。 左岸には、かっての文学カフェやら、サルトルに愛されたカフェ、あるいは画家たちがたまりにしていたカフェは沢山あるのだが、優雅に女…
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パリに一か月もいると、日本食に飢えてくる。 沢山ある日本食レストランやラーメン屋でもいいが、もう少し日常的でなにげない頑張らない日本食が食べたくなる。そんな時、味方になってくれるのが、サンタンヌ通り4…
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パリで仕事をしている二人の若者……ふとしたことで知り合い、パリへ行くと必ず3人で食事をし歓談してきた。その年話題の店を彼女がチェックして、予約を入れてくれるのだ。遠い異国で夢をもって仕事に埋没してい…
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「ダリダのおっぱいに触ると幸せになれる」という都市伝説がパリにある。 したがってモンマルトルの丘のうえにあるダリダの胸像の胸は、ピカピカに光っている。善光寺おびんずる様の禿げ頭を思い出すほどの光り方…
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最近はパリへ行っても「お帰りなさい」といわれ、昔とはだいぶ付き合い方が変わってきた。 初めてのパリでは、いきなりのモンマルトルだったのでせいぜいピガールの広場からサクレクールの丘、テルトルの広場、ル…
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ヴェネチアの大運河に面し、眼のまえにサンタマリア大聖堂を望んで、「グリッティ・パレス・ラグジュアリー・ホテル」がある。15世紀の貴族の館をそのままホテルにした超高級ホテルだ。一生に一度は泊まってみた…
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パリの日本食は、ニューヨークの日本食を遥かに越えている。残念ながら質というよりは、量でこえているのだ。 オペラ・ガルニエからルーブルに向かう左側の裏道に入ると、まず日本食レストランの多さに驚かされる…
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パリ左岸にあるルクサンブルグ公園の元老院の近くにある「フェルー通り」、わずか200メートル程の小路だが、この小路について書かねばならない。車は一方通行しかできない狭い道だが、その東側の壁面はランボー…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞