日記
の記事一覧
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阿波おどりがもめている。 市長と観光協会と地元徳島新聞の利権争いのようにも見える。南内町の演舞場に人気が集中し、ほかの三つの演舞場の人気がいまいちなので、四つすべての演舞場に観客がいきわたる様に、今…
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酷暑にはいかにも涼しいお菓子が食べたくなる。 一年中チョコレートやマカロンをたべているフランス人にはとうてい理解不能な和菓子の世界だ。東京でも近頃は、ゴディバだの、ピエール・マルコニーニなどとわめい…
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横丁に涼し気な風鈴の音が聴こえてくる。それも一つではなく、沢山の風鈴だ。ガラスの江戸風鈴を主役に、緑色に仕上げられた南部鉄の風鈴など、風鈴やさんが通り過ぎるたびごとに夏風が路地を抜けていくような気が…
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文科省科学技術・学術政策局長佐野太(58)が、馬鹿息子の裏口入学を画策、東京医科大学へ私立大学支援事業の便宜供与。 馬鹿息子のために親が奔走する話なんぞは昔からうんざりするほどあった。とくに医科系大学…
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21世紀になってからの新旧交代、技術刷新、世代交代は目まぐるしく進んでいる。芸能のジャンルでも、次々と新しい顔、新しい表現が登場し目まぐるしいばかりだ。 かってかかわっていたレビューの世界もまた新し…
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ムーランルージュの演出で渡仏するまえ、東宝から凄い新人がでる、という噂をきいた。東宝ミス・シンデレラ娘コンテストで優勝したという。なんでも神田鍛冶町の乾物屋の娘で、5人姉妹の末娘ということだった。 …
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滞仏中、いくつかの訃報に接した。テレビ朝日(当時のNET)の始まった頃、音楽番組の演出にも多々携わった。 10代の視聴者には、ワタナベ・プロのタレントが人気があった。ザ・ピーナッツ、中尾ミエ、布施明…
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パリ16区のギマールの建築に心惹かれ、アベス駅の見事な造形を横目にパン屋へ通っていた身としては、いつかブリッセルのアールヌーボー建築と対面したいと思っていた。 ミスター・トム・ウィルソンはなんの前触…
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フランスのお金持ちはみんなベルギーへ引っ越す。ルイビィトンのオーナーも、ルノーのプレジデントも、そして友人のトム・ウィルソンも、みなベルギーへ引っ越した。欧州連合の首都であり、EUの首都だから、そん…
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オペラからルーブルに向かう途中にピラミデというメトロの駅がある。 その側にあのジュンク堂がある。週刊誌、月刊誌、話題の新刊にまじって漫画、劇画、文房具など一通りのものがおいてある。ユニークなのは最…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞