日記
の記事一覧
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歯医者にかかると、その後美味いものが食べたくなる。 タクシーを飛ばして人形町へいく。 久しぶりに「元祖親子丼」に会いたくなった。当然1760年(宝暦10年)創業の「玉ひで」である。 江戸の風情が残る…
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調味料の世界に革命が起こっている。 味噌、醤油、お酒、みりん等々日本料理の基本をつくる調味料が、まったく表情を変えて登場しつつある。 「粉むらさき」 食卓に必ずあった醤油注ぎともお別れになるかもしれ…
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結婚が怖くてなかなかふみきれない、という女性は多い。 年功序列の昔ならば、男の行く末はだいたい読めたのだが、いまは全く読めない。いつ倒産するか、いつ給料がさがるか判らない。ましてやIT好きの彼などす…
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「何故だ!」三越岡田社長が叫んだお家騒動はセンセーショナルな出来事だつた。社長の知らないところにあった取締役会での解任手続きは、悪夢の事件だった。 世紀を超えて同じような事件が、再び三越伊勢丹ホール…
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和田誠の表紙絵が地味な週刊文春がいつの間にかもっとも注目される週刊誌になった。週刊現代や週刊ポストのごとく、ヌード・グラビアもなく、表紙にコンテンツを並べ煽ることもなく、静かに描かれた和田ワールドの…
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町内のそばやに、寿司屋に愛されてきたのが、ゼンリンの地図だった。 そのうち宅急便やさんに重宝がられるようになった。ゼンリンの地図はすごい。 全国70の拠点に1000人の調査員がいて、雨の日も風の日も…
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雑誌のかたすみに「記憶のなかの散歩」という言葉があった。 誰でもが持っている記憶のなかに、どれほどの散歩があるのか、他人事ではなく自分事として辿ってみた。 記憶が蘇って初恋の人があらわれた。丸顔で、…
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エスカレーター式のタラップまで持ち込んで来日を果たしたサウジアラビア国王様御一行については、あれ程騒いだにもかかわらず後日報はまったくきかない。 40機の飛行機を従え、東京中のベンツ、BMW、アウデ…
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信州上田に美味いものあり、飴となずけるも飴にあらず、上田駅前近くレトロなビルにそれはある。 みすゞ飴本舗飯島商店のこと。信州特産のあんず、林檎、ぶどうを始め国産の果物の果汁を寒天、水飴で加工した名菓…
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そろそろ桜の便りも聞こえてきたので、「助六」でも見ながら芝居見物の昔を味わいにいらっしゃいませんか。そんなお誘いが本吉原の名家の女性からきた。 歌舞伎座西の5番の桟敷席に陣取り、花見茶屋の気分で「助…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞