日記
の記事一覧
-
羽田空港の国際化が完成したと浮かれている。空港ビルには江戸小路があり、昔の家並のお店がずらり、とんかつ、うどん、らーめん、おでん、甘味にすし、そして和食が待っている。なぁーんだそんな程度なら羽田に行…
-
1962年湖池屋「ポテトチップス」の量産化に成功、1964年カルビー「かっぱえびせん」発売、1968年明治製菓「カール」発売、以来半世紀、昨年スナック菓子総生産量222430トン、60グラム入りの袋…
-
幸か不幸か、都会に行けば「耳かき店」という桃源郷がある、ということを知らなかった。それが裁判員裁判という奇妙な裁判のおかげで、耳かき店の従業員に惚れぬいた男の母娘殺人事件とともに都会のニュービジネス「…
-
松竹という会社の重厚長大主義、教条的な意識、前近代的なセンスの犠牲になって解散の憂き目をみたのが松竹歌劇団だった。本拠地としていた浅草の地盤沈下、国際劇場という名の仮設巨大劇場ももちろん責任の一端は…
-
ちかごろビジネス・シーンで、ランチミーティングなる言葉が脚光を浴びている。ダラダラと長い会議をやるのではなく、昼飯をたべながらの打ち合わせ、せいぜい60分位で簡潔に議論を進める。お互い後の仕事がつま…
-
「カワイ~イ」「可愛い!」若い子がやたらに発するこの感嘆詞が大嫌いだ。犬でも赤ん坊でも花でも、ときに酔っ払い伯父さんまでもこの「カワイ~イ」の一言でかたずける。言葉の繊細さが失われ、すべて記号化しつ…
-
バブルのころ、ニューヨーク五番街のビルを次々と日本企業が買い取って得意満面になっていた。その後リーマン・ショツクやらなにやらで、そのほとんどは買い戻されたり手放したり、あの頃の日本はなんだったのだろ…
-
畳の部屋がなくなって、子供部屋もおおむねフローリングになり、子供たちのプロポーションが飛躍的によくなった。年寄りと同居の嫁はどうしても下半身肥大の体型から抜け出せない。オコタのついた日本間暮らしを強…
-
秋になると上田別所平の松茸山へ行きたくなる。鈴子山荘、鎌倉山荘、見晴台…松茸山の山小屋はみな賑わいを見せている。不作のとしはそれなりに、心の中で韓国産?カナダ産?とつぶやいても口には出さず松茸には違…
-
世紀のバカップル羽賀研二と梅宮アンナについで、華々しく登場したのが玉置浩二と青田典子、ベッドルームで裸で抱き合う姿をテレビ雑誌の表紙に売り込んだあたりは、ジョンレノンと小野ヨーコの故事に習ったつもり…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞