日記
の記事一覧
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マスクは風邪などひいた時、まわりの人に迷惑をかけないようにかけるものと、信じてきた。何時の頃からか、排ガスでやられるからとか、香港カゼが流行しているからと環境にたいするプロテクターとなった。今年も花…
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革命記念日(パリ祭)の朝、コンコルド広場の観謁式場には世界各国のファーストレディがずらりと並んだ。中央にはサルコジ・フランス大統領夫人カーラ・ブルーニ、ネックレスもイヤリングもなく、靴は低いモカシン…
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世間の眉目を集める職業の男たちを標的に群がる女たちはまず信用できない。自分に甘く、乃至は自分を過信して男を選ぶ。分不相応なお姫様きどりの人ほど、幸いが薄い。 華やかな女子アナ稼業の人々の不運な人生も…
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欲の鬼・怒りの鬼・愚痴の鬼、この三つの邪鬼を追い出すために、今年も祇園甲部には「お化け」が出た。昔は町衆が節分行事としてしていたのが廃れ、いまでは芸妓さんが思い思いのお化けに扮してお座敷を周る。「阿…
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ニューシネマ・パラダイス、デリカテッセン、ブロークン・イングリッシュ、初恋の来た道、山の郵便配達…どの映画も小さな映画館でみた。小さな映画館の暗闇で涙を流した。小さな映画館は単館系と呼ばれ、大きな映…
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自動車免許を取ったのは外車だった。シムカのアロンドという車で操縦を習った。ムーラン・ルージュのあるブロンシェの広場に面して自動車学校があった。学校のあるビルの前にいつも数台の車が止められていて、とき…
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パリに行くならこれ面白いから、と言って紀伊国屋書店の田辺茂一さんが一冊の本をくれた。その頃の新宿紀伊国屋には美女が集められていた。本屋に客を呼ぶには美女が必要だというのが、田辺さんの信念、銀座ではヤ…
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赤という色は不思議な色だ。社会主義、共産主義の色とされ、赤旗を押し立ててのデモは赤色デモと呼ばれた。学生時代は血の色、労働者の色と教えられ、インターナショナルの歌を歌う時は指揮棒は赤い大きな旗だった…
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かってラジオやテレビでともに仕事をした仲間と、友人の消息をさかなにティータイムを楽しんでいた。「ほら知っているだろ、あいつ近頃耳が遠くなって…」「そういえばレコード・プロデューサーだった彼も、近頃ス…
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ラスベガスからトコがきた。 コートダジュールからトミーがきた。二人打ち揃って軽井沢の駅に降り立った。はたからみればとても不思議な二人組、外国人ではなく、さりとて日本人とも呼び難い。良く言えばインター…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞