日記
の記事一覧
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山開きを待ちかねたように富士山は大賑わいのようだ。 タンクトップに入れ墨、短パンの異国の人々がつぎつぎと富士山にやって来る。 信仰の山どころか、原宿竹下通りを遊んでいる。 雨風の過酷な自然などイメー…
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久しぶりの渋谷クルーズだった。 公園通りも、道玄坂も、宮益坂も、かっての風情はどこへやら、巨大なコンクリートの塊になっていた。 戦後、英語の読み書きができないパン助のために、アメリカに帰国した兵隊さ…
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日ハム・ファイターズは、2004年札幌ドームに本拠地を移してから、札幌市に随分いじめられた。 札幌ドームを運営する第三セクターは、札幌市の役人の天下り先であり、札幌メディアのボスたちもまきこんだ頑固…
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電通が打ちだしたのは、現役社員を業務委託契約に切り替え、個人事業主化するという改革案だが、一般の事業関係者から驚きの声で迎えられた。 が筆者のことく、昔から代理店の内側を知っている人間からは、なるほ…
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寺山修司に再会した。 中田喜直没後20年の記念コンサートで、かってお二人のつくった作品「男と女のモノローグによる詩的オラトリオ・木の匙」の演出としてのこと。 喜直先生の作品とは昨年真理ヨシコ・コンサ…
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女権が圧倒的に伸び、その進出度で国力まで測られるようになってきた。 本来女性のもつ大きな特質に、繊細な皮膚感覚がある。子育てをする宿命から、けだし当然なことでもある。 そんな女性たちに媚びて、男性…
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「マルチメディア」という言葉について、まんま受け取り、そのように使用していたが、どうやらその解釈は違っていたようだ。 出版界では、「印刷物+すべての商品群=マルチメディア」 と呼んでいるようだ。昔風…
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ハロウィンとは仮想して酒を飲んで渋谷に行く日、と思い込んでいる馬鹿者が後を絶たない。 ラーメン屋の券売機に水を入れてぶっ壊してどこが面白いのか判らない。軽トラをひっくり返しボコボコにして嬉しいのか。…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞