Kazuhiko Hoshino
の記事一覧
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「蕎麦やの二階」はなんとも色っぽい空間だった。 裏の土手というのも時代劇には登場するが、そこは舟万頭と呼ばれた娼婦たちの縄張りになっていた。 茶店はオープンだし、近くで密かに逢えるのは、「蕎麦やの二階…
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松阪の正論おじさんが話題になっている。 公道は1センチたりとも使わせない。導入看板の片足がでていても、きびしく追及する。法律の奴隷そのものになってシアワセな老人の困りものではある。 松阪の商店街はす…
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G20閣僚会合軽井沢で開幕。その上にはもっと大きい活字が躍っている。 「レジ袋有料化来年4月にも」国際枠組み合意へ、とある。世界中の先進20ヶ国の経済産業相があつまって、こんなに良いことをしている、…
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朝刊はまず父の席に持って行った。 父が眼を通す前に子供たちが新聞をみることは許されなかった。母は台所にたっているのだから、新聞を読むひまなどなかった。きちんと畳まれた新聞は、父が座るべき卓袱台の席の…
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元ジャニーズのアイドル田口淳之介の長時間土下座のおかげで、「土下座」そのものの有効性について、あれこれとメディアが論じている。 もとはアイドルの麻薬使用だから誰も弁護する余地はない。ただこんなに長く…
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構成演出をやって欲しいと依頼を受けた。 彼女は60年前のある年、まさしく美少女と見紛う芸大生だった。ソプラノの良く通るすずやかな声の持ち主だった。これから仕事をしていくのに本名ではまずいので、芸名も…
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「ひとりで死ね」の発言に対して、いろいろな意見が乱れ飛んでいる。 川崎19人殺傷事件。スクールバスを待っていた小学生19人にたいし、次々と刺身包丁で切りつけた後、自殺した事件。 続発する類似事件にワイ…
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存在の恐るべき軽さが話題をまく参議院議員選挙のシーズンがきた。 数こそが正義とばかり知名度だけの軽い候補者をもとめて、政界の実力者たちがひそかに蠢いている。 いくつかの噂の真相を追ってみよう。 無定…
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不覚にも「スリコ」を知らなかった。 安売りがテーマでは「100均」止まり。「ドンキホーテ」ができてからは、なんとなく恐ろしく気軽には行けなかった。話題になって1年位たった頃、銀座の果てにあるドンキに…
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松下政経塾がやたら紙面を賑わしたことがあった。 政経塾出身というのがブランド化し、出身政治家は志ある政治家のごとくに世間は錯覚し、その政治家に期待した。 そもそも松下政経塾というのは、ナショナル創業…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞