Kazuhiko Hoshino
の記事一覧
-
上海の高島屋が血迷っている。 6月に発表し、8月25日には閉店される筈だったのに、わずか2日前、8月23日にふたたび営業するむねのお知らせが店頭に掲示された。 そもそも百貨店の中国進出は伊勢丹が先陣…
-
地上波のテレビでは、唯一「プレバト」を見る。夏井先生の芸人に媚びない姿勢がいい。俳句を学ぶには「プレバト」を見るに限る。大学時代の草田男先生以来のことである。金秋戦決勝のお題は「歩行者信号」。一見無機…
-
そろそろ里山に茸が顔を出す季節になってきた。 昨年は軽井沢の別荘族に参入した知人の歓迎をかねて、別所平の松茸山にでかけた。たくさんの松茸に舌鼓をうち満足したのだが、山小屋のなかはカメムシの天国であり…
-
かって創立50年のとし、100に近いブランドのアイランドを創り、センターに映像によるファッション・タワーを構成し、さらにファッション・シアターをつくってイベント化した、あのオンワードが危ないという情…
-
この国はもはや「多民族国家」になったと思わせてくれるのが、最近のスポーツ報道である。 長いこと聞かされてきた「日本は島国で単一民族だから、」という説明は死語になったような気がする。 大阪なおみ(テニ…
-
10月の声をきくと、さて来年の手帳は、来年のカレンダーは、どうしようという思いが膨らむ。 かっては手帳売り場や、カレンダー売り場が混みあう師走までほっといたが、ここ10年ぐらい前から10月が新年への…
-
朝日新聞は少女慰安婦像をどうしても愛知トリエンナーレに展示したかった、と受け止めるしかない。 みずからの誤報に始まって世界中にばらまかれた戦争中の日本軍の不道徳な行い、まったく捏造された慰安婦強制と…
-
芸能人ほど弱いものはない。ある日仕事がなくなれば、即座に路頭に迷う。 ましてや病気でも患えば、とんでもないことになる。大手プロダクションに所属していれば、保険にはいっているが、弱小プロダクションでは…
-
日本一の旦那衆の温習会が今年も無事開かれた。 銀座くらま会が95回を迎え、新橋演舞場は着物姿の客に溢れた。日本の真ん中にある東京銀座の旦那衆が年に一度の温習会、日本中の商店街から活力が失せても、東京…
-
小泉進次郎と滝川クリステル……令和最初のビッグ・カップルは、ジェットコースターに乗って、人気下降の坂道を転げ落ちている。 いつも自らをケネディーになぞらえていた進次郎は、中味不在の玉ねぎ政治家だった…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞