Kazuhiko Hoshino
の記事一覧
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松の内でもっとも驚いたニュース、元旦に某大新聞が報じた中国製ワクチンの報道である。 菅首相の重要なブレーンである政治家を始め、電子製品メーカー、IT企業など財界15社のCEOとその家族、友人などが、…
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正月のご挨拶が済むと、大きな朱漆の盃でお屠蘇をいただき、初めてお重を開く。そんな嬉しさもコロナとともに何処かへいってしまった。 古女房の顔を見ながら、クロネコのお蔭で手元に届いた祇園川上さん心尽くし…
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「握手会」という得体のしれないものが、興行の一ページに加えられているのは、日本だけかもしれない。 コロナで人と人の接触が禁じられている今、握手会のために一途に働き、アイドルのレコードを何枚も購入して…
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コロナ下で外出禁止のパリから嬉しいニュースが届いた。 いつも世話になっているイノツメ夫妻から、彼はシャネルのコレクションに加わり、彼女は来春日本上陸するフォション・ホテル京都のスパのディレクションを…
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電通が打ちだしたのは、現役社員を業務委託契約に切り替え、個人事業主化するという改革案だが、一般の事業関係者から驚きの声で迎えられた。 が筆者のことく、昔から代理店の内側を知っている人間からは、なるほ…
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自衛隊に対する日本人の意識がオカシイ。 国防の第一線で、国を守る、命をかけて国土を守るのが自衛隊の本務なのだ。 台風で道が崩れた……自衛隊。土手が切れて水がでた……自衛隊。コロナで看護師が足りない……
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師走になると、泥のついた一本ネギがどっさりと届く。 江戸幕府がひらかれた頃、大坂から葛飾にきた千住ネギの特別種と伝えられ、いまでは葛西の新宿(ニイジュク)で栽培されている貴重なネギである。 江戸っ子…
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芸事のお正月である12月13日の花見小路は、いつもならご挨拶にまわる芸妓さん、舞妓さんでにぎわう。 ご挨拶はまず新門前のお師匠さんの家から始まる。お家元に今年の感謝を込め、くる年への覚悟を秘めてのご…
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朝日新聞の終りの始まりがやってきた。 半世紀にわたる反日報道がたたり、かってのクオリティ・ペーパーとしての朝日の看板が地に堕ちたというべきか。 大学時代朝日新聞の存在は圧倒的だった。入社試験、公務員…
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医学のなかった時代、日本人はどうやってウィルスやコロナと戦ってきたのか。 祈ったり、願ったりの他力本願だけではなく、みずから努力して流行り病と闘ってきた筈だから、三密などという意識はなかったと思うし…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞