Kazuhiko Hoshino
の記事一覧
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「眞子さまの暴走婚」「婚約前から小室家通い」「皇室の崩壊!」等々、あちこちの週刊誌が一斉に報じている。 眞子さまの強情さ、常識のみえない阿呆ぶりが、これほどあからさまに伝えられたことは かってなかった…
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夜中、眠れぬままにテレビをつけた。 番組名も局も忘れてしまったが、浜ちゃんと一茂が映し出され、どうやら一茂が大阪の新地で行きたいところへ行くという、なんともお気楽の番組だった。彼は例によってお気に入…
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パリのギメ美術館は、戦後ルーブル美術館の東洋部門がそっくり引越し、現在ではルーブルの東洋美術館として機能している。 そのギメ美術館でいま開催されているのが、「広重の雪景色と川端康成の雪国」をテーマに…
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文科省のお蔭で、いま日本ではストリート・ダンスと不思議な創作舞踊が流行っています。 日本の常識・世界の非常識です。 いま世界で認識されているダンスをあつめて、みんなで楽しみたい、というのが9月のぶん…
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K popとやらに憧れ、目出度くオーディションも通り、海をわたってソールにいったけど、思惑違いですべてがうまくいかず、帰国のすえに裁判沙汰というリアルな喜劇のリポートである。 まず第一の疑問は、Sk…
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その昔、「男女兼用」といっていた。 あるとき突然に、「ユニセックス」という呼称が登場してきた。 近頃では多様性の世界を実現するために、「ジェンダーフリー」が必要とかいっている。 どう考えても、おなじ…
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「バッハ会長は何故パラリンピックにきたのか。一度来たらもうこなくていいだろう。銀座にも行ったことだし……。」 分科会会長尾身茂の発言をきいて唖然とした。この人が何故メディアをまえにこんな発言をするのか…
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軽井沢の森には秋がきている。 線状降水帯の合間をぬって、カナカナが鳴いている。 子供のころはカナカナ蝉と教えられたが、長じてヒグラシとなつた。 森のなかの薄暗いところからヒグラシが誘ってくるようだ。…
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中国コロナのお蔭ですっかり夏の楽しみを忘れている。 軒先の風鈴、おろしたての浴衣、打ち水、金魚売の声、八幡様の夜店など、夏の楽しみは色々あったが、なんといっても花火にまさるものはなかった。庭先でやる…
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「ねぇ、時間あったら出てこない」ふたつ返事ででかけたのは、五反田の渡辺美佐(当時渡辺プロダクション副社長)さんのお宅だった。 戦後の音楽業界にアメリカ直輸入のマネージメント・システムを導入し、先頭を…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞