Kazuhiko Hoshino
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表千家、裏千家、武者小路三千家の家元揃踏みの結婚披露宴に出席した。花婿は伝統工芸の第何代を継ぐ名門の長子である。花嫁は美しき女子大の現役4回生。自信たっぷりの花嫁は、まず文金高島田にラメだらけの振袖…
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十数年前「チャールスは国王にはなれない」というのが、英国の世論だった。彼はテレビに出演し「ロンドンの景観をこわしたのは現代建築家たちだ。テームス川ぞいのスカイラインをみよ。なんと無秩序なことか。」一…
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今はオカマでも、ゲイでもない、オネェキャラの時代なんだそうだ。そう言われてみると、KABA chan、IKKO、山崎トオル、假屋埼省吾、ピーター等々前田健からマツコ・デラックスにいたるまで多士済々な…
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遠山郷の霜月まつりなどでお目にかかる真摯な学究肌の桜井弘人さんの依頼で、伊那民俗学研究所の所報に「いま、祭が滅びる」という小文を書いた。小見出しは、「祭祀国家としての日本の衰え」「宗教教育を疎かにし…
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芦田淳先生のコレクションにいってきた。ファッションの仕事から離れてもう10数年になるが、どういう訳か芦田先生のショウには出かけてしまう。作品を云々する資格はないが、客席がとてもいい。ジュン・アシダの作…
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ワイドショウで「大スター峰岸徹さんが亡くなりました」ちょっと待ってくれ。、当時六本木族といわれた大原麗子、加賀まりこには、大がついてもいいが、演技不全の彼に大をつけるのは皮肉としか思えない。 米兵の…
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故あってふたつの椿姫をみた。 ひとつはザルツブルグの2005版、もうひとつはフェニーチェ座の2004版、いずれも大胆な演出の舞台だが、きわだって異なったのが、二人のプリマの衣裳。 前衛的なネトレプコ…
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南部、小林、益川の三人が揃ってのノーベル物理学賞は御同慶のいたり。 マスコミが殺到しインタビューしたが、一番面白かったのは、当初、益川教授の「いまごろもらっても嬉しくない」「君らが希望するようなこと…
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祇園町秋の催事の一番は温習会だ。春の都をどりが観光客相手とすれば、秋は芸妓舞妓の舞や囃しの技較べで、ご贔屓筋や専門家が客席をうめる。 今年はネズミの年に因んで、井上流のみに伝わる「子の日の遊び」とい…
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「軽井沢にいったら何を食べたらいい」フレンチもあるし、イタメシもあるし、和食もあるし…「それは判っている。名物のご飯ってなんなの」うーん、そういわれるとむずかしいなあ。「だって何かあるでしょ。小布施の…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞