Kazuhiko Hoshino
の記事一覧
-
大谷康子さんが軽井沢に演奏にこられるというので、食事を共にした。 ヴァイオロニストとテーブルを囲んだのは巌本真理さん以来のことだ。若々しく屈託のない彼女の口から、前向きの時代を呼吸した言葉か゜つきつ…
-
「初恋のきた道」以来、ずっとチャン・ツィイーのファンだ。 恋のためにひたすら走った、走ることが愛の言葉になっていた。走って走って転んで泣いて、少女の恋心を見事に表現した。日本の女優が半世紀まえに失っ…
-
朝日新聞批判にエクスタシーを感じ、アサヒ反対がライフワークだった文芸春秋のオピニオン誌「諸君」がついに休刊することになった。岩波の「世界」や朝日の「論座」などに対立する右翼論壇人のよりどころだったが…
-
アーカイブ・ブームの波に乗って、この処「ヨイトマケの唄」についての取材が多い。高度成長が達成され、やうやく人並みの生活が現実となった昭和40年という年は、今の人々にとってリアリティのある近過去なのか…
-
「おくりびと」が今年のアカデミー外国映画賞を獲得、大変におめでたい。早くもハローワークに「納棺師になりたいんですけど、求人ありますか。」と電話がかかつたという。その件でしたら葬祭センターに連絡なさっ…
-
天皇家に嫁ぎながら宮中祭儀を務められない皇太子妃、中学生以下の国語力しかない総理大臣、世界に恥をまき散らした酔っぱらい大臣、格差危機に横をむいて社員首切りを進める経団連の大ボス、体外受精を取り違えて…
-
世界遺産といわれなくとも、死ぬまでに見たい日本の情景として、飛騨合掌の里へ行ってきた。東海北陸道とよばれる高速道ができたので、高山からは一時間たらずで、この日本の秘境にたどりつく。松本から上高地をめ…
-
近頃の若者たちは、草食性の男性と肉食性の女性に大別できるそうだ。 四半世紀前、男女共同参画の頃から、女たちの要求にそい男はひたすら「やさしい男」をめざしてきた。女性は恋人の条件としてまず「優しさ」を…
-
11才でモデル、16才でフンドシ・ルックのカレンダーを作り、18才でヌード写真集「サンタフェ」で反響をよぶ。いつも人間の劣情を刺激して話題づくりをしてきたのが、宮沢りえという女だ。19才で貴花田と婚…
-
「春風」とは新しいラップ・ミュージック、長野の二人組ラッパーによって歌われていた。一方の「ブラジャー」は若い女の子の小さな切ない思いを歌ったBカップの歌である。背丈もあまり大きくない可愛い女の子がい…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞