Kazuhiko Hoshino
の記事一覧
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バブルがはじけTV局貧乏の始まりとともに増殖したのが、とりあえず金のかからないお笑いとバラェティ番組だ。21世紀の掛け声とともにましになるかと思ったのも束の間、リーマン・ショックやらドバイ・ショック…
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霧につつまれた谷間に忽然と姿を表わす小さな村がある。その村は100年に1日しか現れない不思議の村だ。狩に出掛けたジーン・ケリーがこの村に迷い込み、美しい村娘シド・チャリシーと恋に陥る。24時間だけの…
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明治の鉄道王雨宮敬二郎が、ここ軽井沢に来たとき、見渡す限りの火山灰地だった。荒涼たる風景に接した彼は、自らの手でこの高原をみどりの大地につくり変えようと決意、一生かかって700万本にのぼる唐松を移植…
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みんながカメラに向かって食べている風景を、テレビの幸せとばかり時間を費やした人々の御蔭で幾人かの芸人が生き延びた。「…の宝石箱や」と高らかに宣言した彦麻呂、いつもツナギのホンジャマカ石ちゃん、東京マ…
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アデランスの調査によると男性の薄毛率は、ここ25年で15%から27%に増えたそうだ。つまり4人に1人はバゲている。原因はストレスや食ではなく悪玉ホルモン、ハゲこそ生殖能力に富み、知能も高く強いリーダ…
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束芋という天才映像作家が軽井沢の里山に棲んでいる。といっても世界を舞台に仕事をしているので、たまに軽井沢の両親のもとに立ち寄る、といった処か。マネージメントを担当している妹さんの名は芋芋。なぜに束芋…
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永年変だと感じていたことが、ようやく一つ解決した。「吉田松陰/桂小五郎/高杉晋作」山口の生んだ明治の三偉人の名前が、商標登録され市民には使えないということだった。利にさとい東京の商人が何年かまえに登…
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世界をリードするため、スーパーエリートを創らねば駄目という認識のもと、いま中国では徹底的な教育施策が進んでいる。今年は6000人の優秀な大学卒を海外留学生として派遣。北京大学や精華大学の約半数が卒業…
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デジカメ、ケイタイ、名刺入れ、身の回りの小物をやたらデコルのが流行だそうだ。睫毛をもり、髪をもっても満足せず身の回りのものすべてをデコリ倒す。日常生活に満足していないと、どうしてもそっちへ関心が向く…
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「貴方、苦手なものはあるの?」料理屋の女将がきく。「気の強い女性がちょっと…」若い客が答える。「…意外と贅沢。」つぶやく女将。このコマーシャルを見たとき、いままでなんとなく抱いていた疑問が氷解した。…
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞